宇佐神宮参拝記 (3)~(7 ラスト)
宇佐神宮の真実:八岐大蛇と八幡神の関係
上宮への参道の左手下には亀山神社が鎮座しています。
この山は亀山あるいは小椋山とも呼ばれ、宇佐神宮の由緒を語る上で欠かせない場所です。
この神社の下にある菱形池に伝わる八幡神の伝説は、一際異彩を放っています。
その伝説によれば、八つの頭を持つ鍛冶の翁が菱形池のほとりの泉から現れたといいます。
その奇異な姿は人々を病ませ、死に至らしめたと伝えられています。この伝説は、八岐大蛇を強く連想させ、八幡大神と八岐大蛇が同一の存在であったのではないかという興味深い説を想起させます。
両者の名に「八」の字が含まれるという共通点も不思議です。
スサノウとの戦いに敗れ、その配下となった八幡大神がスサノウの娘を姫神として祀ったのではないかという仮説を思いつきました。
宇佐神宮参拝記(4) 神秘の上宮 比売大神が中央に祀られる謎
中庭には若宮神社があります。ここには仁徳天皇以下の4人の皇子が祀られています。
石段を上がり、大きな宇佐鳥居をくぐると壮麗な西大門があります。現在、補修中なので、前回撮影した写真を掲載します。
ここからが上宮です。左手には上宮本殿があります。
様式は「八幡造」といい、2棟の切妻造平入の建物が前後につながった形をしています。この建物は国宝で、すべて1860年前後の江戸時代に建てられたものです。
建てられる以前にもお宮があったと考えられますが、その詳細については不明です。
一之御殿には八幡大神が、二之御殿には比売大神が、三之御殿には神功皇后がそれぞれ祀られています。
主神は八幡大神ですが、宇佐神宮の本殿では、主神の位置である中央に比売大神が祀られているという不思議な配置になっています。この理由については、いまだ解明されていません。
四拍手の秘密:宇佐神宮と出雲大社を結ぶもの
宇佐神宮で最も謎深いのは、四拍手の柏手ではないでしょうか。
一般的に神社では二拍手ですが、宇佐神宮では古来より四拍手が行われている点が特徴的です。
興味深いことに、出雲大社も同様の四拍手で、新潟県の弥彦神社も四拍手の神社で、祭神である高倉下命は饒速日命の子孫とされています。
出雲大社は鎌倉時代から室町時代までは素戔嗚尊を祀っていましたが、宇佐神宮の祭神は宗像三女神であり、神話において素戔嗚尊の娘にあたります。
これらの事実から、素戔嗚尊一族が大和地方に最初に勢力を広げ、宇佐神宮と弥彦神社はその一派であったという説が考えられます。この説に基づけば、四拍手の儀式も納得がいきます。
さらに、宇佐市の東隣が杵築市であり、出雲大社が古代には杵築大社と呼ばれていたという事実も、この説を裏付ける可能性があります。
神仏習合、渡来人、そして歴史の書き換え
気になるのは、宇佐神宮が神仏習合の始まりとされることです。
この地域は国東半島の独特の山岳宗教である六郷満山文化が栄えていた場所です。
宇佐神宮境内にも仏教寺院の跡が多くあり、さらに宇佐の神殿が豪華な朱色の建築物で高野山の寺院を思わせるためです。
八幡神は本来、仏教系の韓半島の仏様だったのではないかとも考えられます。
誉田別尊(応神天皇)が八幡神となったのは、大和政権が勢力を拡大し、宇佐の寺院に祀られていた渡来人信仰を天皇に結びつけ、宇佐を重要な拠点としたためと考えられます。
渡来系仏教の地にあり、大和と韓半島の海路の要衝であった宇佐を天皇家が掌握し、時代や歴史を書き換えた可能性も考えられます。
このような見方をすれば、宇佐神宮の謎を解き明かす糸口が見つかるかもしれません。
八の謎:宇佐神宮、八坂神社と八幡神の起源
上宮を下ると、古くは御炊殿と呼ばれ、神前に供える食事を作っていた場所である下宮があります。小椋山を巡って出口に向かうと、八坂神社が見えてきます。立札には『養蚕神社、八坂神社 祭神須佐之男命』と記されています。
疑問なのは、秦氏とスサノウの関係が史料に明確に記されていないにもかかわらず、なぜこの地に祀られているのかという点です。
養蚕神社は秦氏ゆかり、八坂神社は高句麗系で、そのつながりは渡来系氏族とも言えます。
宇佐神宮には多くの境内社・境外社があり、全ての関係性を解明することは困難ですが、八坂神社が重要な役割を担っていたことは間違いありません。
八つの頭を持つ八岐大蛇、そして八坂神社。
八幡神の起源を辿る上で、「八」という数字が頻繁に登場することは、単なる偶然と言えるでしょうか。もしかすると、この数字には深い意味が隠されているのかもしれません。