三内丸山遺跡と諏訪、出雲の巨大な柱つながり
三内丸山遺跡と諏訪、出雲の巨大な柱つながり
東北には、約5000年前の縄文集落、三内丸山遺跡が発掘され、高度な文化を育んでいた事で縄文イメージを大きく覆す発見となりました。
しかし、気候の寒冷化に伴い、三内丸山集落の人々は故郷を離れたと考えられています。
彼らの行き先の手がかりとなるのが、三内丸山遺跡で見つかった巨大な六本柱跡です。
柱の信仰を追うと、長野県諏訪地方の神社の前に立てられた巨大な柱に行きつきます。
さらに南下すると、出雲大社の神殿跡にも同様の巨大な柱が見られます。
また、三内丸山と出雲を結びつけるものとして、「ズーズー弁」があり、出雲の方言も「西のズーズー弁」と呼ばれていて、時代を超えた言語的なつながりがうかがえます。
これらのことから、三内丸山の人々は、巨大な柱の信仰を持ちながら、諏訪地方や出雲地方へと移動していったのではないかと推測できます。