東北王国(3) 東北縄文人の大移動

東北地方で一番興味があるのが、三内丸山遺跡である。
 
三内丸山(さんないまるやま)遺跡は、青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡。ウィキペディア
 

三内丸山遺跡

 
何が素晴らしいかと言えば、これまでの縄文時代の文化が、従来考えられていたものよりも進んだものであることを示す沢山の証拠が出てきたのである。
 
そしてこの遺跡だけではなく、他の6つの遺跡も三内丸山遺跡と関連性が考えられている。
 
重要だといわれているのが、日本各地域を中心とした交易で得たと推測される黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠などが出土している事だ。
 
翡翠は糸魚川、平底の円筒土器やけつ状耳飾りなどは、中国大陸の遼河文明と関係があったと推測されている。
 
これは今までの縄文人像を見事に覆している。
 
狩猟採集の生活だけではなく、美的なことや、祭祀的な事を連想させ、文化度の高さを感じ取れる。
三内丸山人は、ただの原始人ではなかったのである。
 
また、三内丸山の人たちは、自然の恵みの採取活動のみに依存せず、集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽していた事もわかっている。
 
そして、最大級な謎は、巨大な六本柱建物跡である。
 
現代でもそうだが、巨大な建造物を建てるには、さまざまな知識が必要になってくる。
 
測量の技術、長さの単位の存在、多くの労働力を束ねることができる指導者の存在。それらの事実が、この六本柱の背景にあるのは間違いないからである。
 
現在は六本柱は、物見櫓として復元されているが、これに関して異論も多い。
 
そして、この集落が、縄文時代前期中頃から中期末に存在していたという事が驚きだ。
 
現在の学説では、縄文時代は紀元前14000年頃から紀元前100年頃だといわれている。
 
三内丸山(さんないまるやま)遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉というから、紀元前5000年~紀元前2500年くらいである。
 
その時代の中国大陸には殷(いん)という王朝が存在していた。年代は紀元前1600年頃から紀元前1046年である。その前は伝説の王朝で紀元前1900年頃だとされている。
 
ヨーロッパの最古のエーゲ文明は全盛期が紀元前2000頃からだとされている。
 
三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃と言われているので、紀元前10000万年くらいだろうか。
 
ギリシアにおける新石器時代の初期が紀元前7000から紀元前5800年。
 
中国東北部の遼河流域で起こった遼河文明(りょうがぶんめい)は紀元前6200年ごろである。
 
他の地域と比べても、圧倒的に古い遺跡なのである。
 
まず、この事を留意しておきたい。
 

地球の寒冷化

最終氷期の約2万年前の最盛期が過ぎると、地球規模で温暖化が始まったのだが、約1万3000年前から1万年前の気候は変動し、ついに寒冷期になっていく。
 

過去5億年間の気候変化 Wikipedia

 
 
この事により、縄文文明はスタートしたといえる。
 
寒い地域のほうが、必要に応じていろんな道具を作り出さなければいけないからだ。自然界の変化に対応しなければ生きていけないので、前頭葉が活発になったのだ。
 
そして、この三内丸山の縄文人たちは、縄文時代の中期末にこの集落から去っている。
 
これも一つの謎とされているが、気候の寒冷化で移動していったと考えるのが普通だろう。
 
4200年前に世界的な寒冷化が起こり、メソポタミアから中国までの文明が崩壊している。
 
日本列島は海に囲まれている海洋性気候なので、大陸性気候の地域に比べて、気温差は緩やかである。
 
それでも、気候の変動は人々を否応なく動かしていったはずである。
 
だから、三内丸山の地域からいなくなったのである。
 

縄文人が日本列島に、均一に住んでいたとされる前提への疑問

現代日本列島人を調べると、アイヌ人が一番縄文の血筋を引いていて、その次は琉球人だという。
 
これはよく聞く話だが、僕は単純な疑問がある。
 
それは「南と北に同じ縄文人が住んでいたか」という事にである。
 
沖縄人の身体の特徴は、毛深い・色黒・顔の彫りが深い・ガッシリしてるなどと言われている。
 
アイヌ人も同じような容姿と言われている。
 
なぜ同じような容姿なのだろうか。
 

沖縄の近くにある台湾の先住民族、アミ族の人々

 
アイヌと沖縄という両端に、縄文の遺伝子が色濃く残っているのは、縄文人だらけの日本列島に、弥生系という人たちが中央に入り込み、両端だけが縄文人になったという説である。
 
という事は、沖縄人も元はアイヌだったという事になる。
 
東西に長い日本列島の縄文住人は、均一に北と南で暮らしていたのだろうか。
 
そこが疑問なのである。
日本人の起源についていろいろ書かれているが、北方系と南方系の混血という説が一般的である。
 
それ以外に、最近はバイカル湖畔起源説というものがある。
 
これに従えば、沖縄まで北方系の縄文人が押し寄せたことになる。こんなことがありうるだろうか。
 
縄文時代はとてつもなく長い。もしそうであっても、南方に住めば南方の容姿になっていくはずである。
 
また、沖縄は中国や台湾、少し離れるが東南アジアの人々もやってきたはずである。
 
最初は北方系の毛深い・色黒・顔の彫りが深い、ガッシリだったかもしれないが、何千年もの時間が経てば、混血が進み、南方系の丸っこい顔のほうが多くなるんじゃないだろうか。
 
例えば、住んだ場所の気候に順応し、寒い北方では、背が高く面長で体毛の薄い人が多く、熱い南方はその逆になるのが一般的である。
 

沖縄の遺伝子

沖縄の住民は、九州以北の本土の住民とは同じ祖先をもつことが最近の遺伝子の研究で明らかになっている。
 
さらに中国や台湾の集団とは遺伝子の研究から、かなり離れていることが判明している。
 
父系遺伝子Y染色体ハプログループD1a2aを持つのは世界で本土日本、アイヌ民族、沖縄だけであり、お隣の台湾や中国、韓国には全く見られない。
 
世界的にも珍しいY染色体ハプログループD1a2a系統を日本人では30%~40%、アイヌでは90%、沖縄本島では50%もの人が所持していることも重要である。
 
どうだろう。
 
なんかおかしくないだろうか。
 
日本列島と沖縄地域が、同じ縄文人の遺伝子を持っている事が不思議なのである。
 
まるで、縄文時代の日本人は、アジアの中で孤立しているようにも感じるのだ。
 

二重構造説の矛盾

琉球弧を含む日本列島人のルーツを説明する仮説としては、
 
ベルツなどが提唱した「もともと縄文系の人々が住んでいたところに、弥生人が後から大陸経由でやってきたが、沖縄や北海道(アイヌ)の人々は本土の人々とあまり交流がなかったために異なる集団となった」とする二重構造説が存在する。
 
大陸経由の弥生人が日本人の主流となったとあるが、大陸とは中国やモンゴルの事だろう。
朝鮮半島は無人の地であった時期が5000年ほどあるので、考慮に入れなくていいだろう。
 
まず、二重構造説の欠点は、現代人のゲノムからのサンプル調査である。
 
これにより、日本の人々と大陸系の人々の遺伝子の繋がりはある程度分るが、「縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存する」とまで、判断することはできないとおもう。
 
さらに、言語や生活様式が大陸系の国々とは、かけ離れていることも大きい。
 
弥生人が渡来系ならば、私たちは中国語やモンゴル語を話していなければならない。
 
私見だが、弥生人とは、水田稲作により豊富な食料を確保した縄文人たちの体格の変化の結果だと思う。
 
昭和初期と令和の人々を比べると、栄養状態が変わり格段の差が出てくる。たかだか100年間未満の年月でこうである。
 
栄養学から言えば、狩猟採集が中心であった古墳・縄文時代には、鎌倉時代から明治時代よりも動物性タンパク質の摂取量が違うので、身長が高かったと言われている。
 
縄文、古墳時代は、肉食が多く高身長。鎌倉時代から明治時代まではコメが主体なので、低身長。それ以降の現代では肉食が多くなり高身長なのである。
 
昭和23年の平均身長は男性161センチ、女性150センチ。平成19年では男性171センチ、女性161センチである。
日本人の骨格
http://www.kyoeigakuen.ac.jp/iseshimareha/blog/28965
 
なぜこの事を学者の人は考慮に入れてくれないのか不思議に思う。
 
生活様式が変化して、人々の信仰や考え方が変化してくると、当然すみわけが起きる。
 
こう考えれば、古代日本語の件や、日本独自の生活様式の連続性が解決できるのである。
 
話を戻す。
 
沖縄人がどこからやってきたかと言えば、本土からだという結果が出ている。
 
沖縄では紀元前4世紀頃までを前期貝塚時代という。この時期が縄文時代に相当する。
 
そして後期が本土の弥生時代から平安時代にあたる。
 

鬼界カルデラの破局噴火

7300年前の幸屋火砕流と鬼界アカホヤ火山灰

 
重要なのは、鬼界カルデラが破局噴火し、南九州の縄文文化を壊滅させた時代(前5300年頃)がある事である。
 
それが沖縄の空白の時代である。
 
なので、その時代以降に、九州本土から人々がやってきたはずである。
 
それが沖縄の縄文人の渡来だとすれば、九州の縄文人はアイヌ人と同じ遺伝子を持っていたのだろう。
 
ただ九州は稲作を一番最初に始めた地域で、弥生化が最初に進んだ地域である。
 
その事を考え、下記の説を考えてみた。
 
琉球人は形質・遺伝的には「南方系由来の縄文人」とするよりは、むしろ北方系の形質が優勢であるとされている。形質人類学上の研究より
 
そして、思ったのだ。
 
青森から沖縄に縄文人がやってきたという事を。
 
そうすれば、日本列島に東北縄文人が均一に存在していても不思議ではない。
 

沖縄と東北

トンデモ説と言われそうだが、学術的な証拠がある。
 
沖縄に東日本の縄文土器 2500年前の交流示す
沖縄タイムス 2017年1月24日 20:17
沖縄県北谷(ちゃたん)町の平安山原B遺跡から沖縄で初めて東日本の大洞系(おおほらけい)土器が出土した。
大洞系(亀ケ岡系)土器は、東北を中心に分布する縄文晩期の土器形式。確認された破片は4センチ~5・5センチの台形で、浅鉢の高台の一部とみられる。表面に複雑な筋状の文様が重なり、朱色の塗料の跡がある。
 町教委では「県内の遺跡ではこれまで縄文晩期の新潟産の翡翠(ひすい)などが出土しているが、東日本の土器の出土は初。縄文晩期から弥生前半にかけての沖縄との文物の交流を示すものだ」としている。
 

大洞系(おおほらけい)土器

どうだろうか。
 
新潟産の翡翠(ひすい)等も発掘されていて、縄文時代の交流の存在を証明している。

ズーズー弁

また言葉も関連性がある。
 
東北と出雲と沖縄にいわゆるズーズー弁が残っています。「ち」と「ず」と言い分けることができないわけですね。いまでは訛っているということになりますが、縄文時代には、そういう意識はもちろんありません。https://gomuhouchi.com/serialization/7524/

邪馬台国大研究 出雲大社建造の謎。
三内丸山の巨大6本柱とよく似ている

 
東北と出雲のズーズー弁は有名だが、沖縄にも伝わったとなれば、海上交通の形跡が確認できそうである。
 
日本中にズーズー弁が残っているのなら、均一的に東北地方の人々が南下したと考えればいいのだが、出雲や沖縄などピンポイントに、ズーズー弁が存在しているのだ。

成人T細胞白血病のキャリア

HTLV(ヒトT細胞白血病ウイルス)のキャリアは、日本の中では、九州,四国地方に圧 倒的に多いが、三陸地方、アイヌ族にも見られる。
 


日本学術振興会
成人T細胞白血病とHTLV発見物語(後編)https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/22_letter/data/news_2011_vol4/p-18-19.pdf

 
しかし、何故か韓国、中国人にはほとんど見られない。そして、近畿地方には少ないのだ。日本以外では、アフリカと中南米の各国に多いことが分かった。

HTVL-1に感染している人の割合は日本の西南部、九州や沖縄に多いことがわかっています。
さらに興味深いことに、海岸線に沿って中国地方の日本海側、四国の太平洋側、紀伊半島、北海道や東北にもウイルス保有者が多い地域があります。
 
また、離島に多い一方で内陸部では少ないのです。これはおそらく、海岸線を伝って人の移動があったことを示しています。
https://www.asahi.com/articles/SDI201908302811.html
 
ウィルスという観点から見た、日本人の姿である。
 
このウィルスはあまり感染力が強くなく、感染は主に母乳を介して起こる。
 
となれば、最初に感染した女性がいて、その子孫が日本中に散らばったという事になる。
 
どの地域から発症したのかは現在は不明だが、日本中に、縄文人の船による移動があったのは間違いないだろう。

源為朝

 

源為朝上陸記念碑

 
琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』などでは、12世紀に源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球最初の王統の始祖・舜天になったとされる。
 
12世紀の話だが、なぜこんな話が、琉球王国の正史に書かれていることが不思議だ。
 
源 為朝(みなもと の ためとも)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(大阪市東淀川区)の遊女。源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる。
 
この侍は、身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で、剛勇無双を謳われた男である。
 
この話は、琉同祖論(日本人と琉球(沖縄)人は、その起源において民族的には同一であるとする説)と関連づけて語られる事が多く、尚氏の権威付けのために創作された伝説とも考えられている。
 
しかし、一つ疑問なのは、尚氏の権威付けを考えるなら、もっと品行方正な人物を選んだのではないかという事である。
 
また、琉球最初の王統の始祖・舜天が実在しない伝説だという説が一般的である。
 
ただ、感じるのは、本土から強い人たちがやってきて、国を作ったという伝承が、沖縄に根付いていたという事だと思う。
 
ただ、源氏という武士集団は、縄文のにおいが強くする。
 
 
1989年に、ミシガン大のローリング・ブレイス教授らは「Reflections on the Face of Japan」という論文をAmerican Journal of Physical Anthropologyに発表した。
この論文で、ブレイスらは、鎌倉の材木座・極楽寺付近から出土した1333年の鎌倉攻めの犠牲者人骨の歯のサイズと頭蓋骨計測データを用いて、鎌倉武士はアイヌと近縁であるという説を唱え、アメリカで注目を集めた。
http://amezor-iv.net/res.php/society/090315143807/1-30
時代も新しい話なので、強い肯定ではないが、こんな事もあるというくらいで了解していてほしい。
 
以上が沖縄と東北のつながりを示す事柄である。
 
沖縄で初めて東日本の大洞系(おおほらけい)土器が出土したことが、一番強い説得力を持つと思う。
 

縄文人の分布

縄文人が日本全国に均一に分布していたとは思われない。
 
もし均一に存在していたなら、その理由があるはずである。
 
一つの仮説がある。
 
それが7300年前に起こった喜界カルデラの破局噴火である。
 
これにより縄文中期まで九州で暮らしていた多くの縄文人が、死滅したといわれている。
 
九州に縄文の土器や遺跡の発掘が少ないのはその為である。
 
時期は縄文の中期から後期くらいだろう。
 
噴火後、沖縄や九州、西日本には人が極端に少なくなり、その後、200年くらいたって初めて人が住めるようになったといわれている。
 
しかし九州は復活している。
 
生き残った縄文人が増えたのか、どこからかやってきたのである。
 

東北縄文人の南下

最初に述べたように三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末に栄えていたといわれている。
 
その後、気候の寒冷化で人々はその地を去っていった。
 
どこに行ったのかと考えるが、気候状態のいい地まで南下していったと考える方が普通だろう。
 
移動手段は船である。
 
日本海沿岸を陸続きで、渡っていったのだ。その証拠は、HTVL-1のキャリアの分布である。
そして、九州を経て沖縄までたどり着いた縄文人がいたのだ。
 
沖縄の遺跡がそれを物語っている。
 
出雲地域の話も縄文人の移動を物語っている。それは、出雲地域にはズーズー弁が残っているという事実である。
 
中国が日本の事を倭国と呼んだ。なぜかという謎がある。
 
一説は、「倭」は「背が丸く曲がって低い人」だからというものがある。
 
中国の歴史書に現われる他民族の名称は、原則的に、彼ら自身の言語による自称に基づくものであって、その音を漢字で表記したものである。
 
という事は、日本人が自分たちを倭と呼んだので倭国になったという事である。
 
そして、東北の方言で自分の事を「わ」という。
 
東北にいた縄文人はズーズー弁を話していたと思われるので九州に南下した人々は自分たちの事を「わ」と言っていたのである。
 
そして、これが「倭」の始まりである。
 
アイヌの地名が日本中に残っている事実もこれで解消する。

均一な日本人

日本列島に住み着いた人々は南北に細長いので、北と南は当然、違う人々だったはずである。
 
南は南方系、北は北方系である。
 
しかし、南の地で火山の大噴火が起こり、西日本の人々は壊滅状態になる。
 
またその時期に、地球規模で寒冷化が始まる。
 
その事により、東北の縄文人は南へ大移動を始める。
 
それにより、日本列島の縄文人たちは北方系の単一な人々が住むことになった。
 
だから、縄文の末裔であるアイヌと、沖縄の人たちは似ているのである。
 
日本人の不思議なところに均一性がある。
 
南北に細長い国なのに、性格や行動パターンに近似性がある。
 
その理由が、東北縄文人の大移動だと確信している。
 
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東北王国(1) 日本中央碑の謎
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東北王国(2) 蝦(ガマ)の夷(エビス)
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東北王国(3) 東北縄文人の大移動
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