諏訪神社の蛙狩神事と遮光器土偶
長野県の諏訪大社では、元日の早朝に「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」という古式ゆかしい神事が行われる。
氏子たちが御手洗川(みたらしがわ)の氷を割り、川底を掘り返して赤蛙を捕らえ、それを神殿に捧げるというものである。
捕らえられた蛙は神職によって小さな矢で串刺しにされ、神への供物として奉げられる。
この神事の話を初めて知ったとき、やはりと大きくうなずいた。
かつて書いた「縄文の心 遮光器土偶はカエルの精霊」にも記したように、遮光器土偶はカエルを象徴した存在ではないかと考えているからである。
縄文の心-2 遮光器土偶はカエルの精霊
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青森県の亀ヶ岡遺跡周辺は川に恵まれた地域であり、縄文人たちは、カエルを身近な食料としながらも、再生や生命の循環を象徴する聖なる存在として崇めていたと推測される。
さらに、「蝦夷(えみし)」という言葉にもその痕跡が残る。
蝦夷は「えびす(夷・戎)」がもともとの語だと推測されている。
「蝦」には「えび」「虫のように動く」という意味があり、蔑称的(見下した)なニュアンスがあったかと説明されている。
しかし「蝦」という字は「えび(海老)」だけでなく、「がま(蟇)」=ヒキガエルの意味をもつ。
『日本書紀』には、吉野の国栖(くず)の人々が「蝦蟇(がま)」を煮て「毛瀰(もみ)」と呼び、美味であったと記されている。
古代、カエルは、無視できない食料だったのだ。
蝦夷とは、カエルを食べる自然の民、生命と共に生きる人々を意味していた可能性がある。
諏訪大社
諏訪大社は、上社が背後の守屋山を、下社が杉やイチイの古木を御神体とし、本殿を持たない独自の形を今に伝える。
これは古代の自然崇拝の姿をそのまま残した神社であり、起源は紀元前後にまでさかのぼるとされる、日本最古級の社である。
また、諏訪大社には七年に一度行われる「御柱祭(おんばしらさい)」がある。
山から巨木を曳き出し、社殿の四隅に建てる勇壮な神事であり、柱そのものに神が宿ると信じられている。
この柱信仰は、青森県三内丸山遺跡に見られる巨大な六本柱遺構と通じるものがある。
三内丸山遺跡は縄文中期に繁栄した大集落であり、その巨大な柱は神そのものであり「聖なる柱」であったと考えられる。
やがて縄文後期の寒冷化によって集落は衰退し、人々は南へと移動した。その中で、自然崇拝と柱信仰の文化が信州・諏訪へ伝わったと推測できる。
蛙や鹿など狩りで得られる食料を神に捧げ、神である柱を祈る。
諏訪の信仰には、縄文人の生活が今も息づいているのである。






