スサノオのキャラクターの謎
古代史で一番のベストキャラクターといえばスサノオではないだろうか。
『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。ウィキペディア
スサノオの生まれだが、
『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊邪那岐命(いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする。
『日本書紀』ではイザナギ・イザナミの間に産まれた三貴子の末子に当たる。
古事記と日本書紀では、だいぶ雰囲気が違う。
そして実に変化にとんだストーリーを持っている。
いずれにしても、神話なのでフィクションである。
天照や月読は、太陽と月の神様だから神話の登場人物としては順当である。
しかし、「スサノオ」の役目がよく分からない。
死んだお母さんを恋しがって黄泉国にいったり、高天原で乱暴を働いたり、娘を助けて怪物八岐大蛇を退治したりする。
高天原では凶暴、八岐大蛇退治の英雄。
引退すると、日本で初めて和歌を詠む教養人。
一人何役もこなす多重人格俳優である。
その中でも印象的なのが、強いヒーローとしてのスサノオだ。
スサノオという名前も荒ぶ(すさぶ)や凄まじいの凄(すさ)からきているという説もある。
まさに「荒(すさ)ぶ王」である。
しかし、どうもキャラが立ちすぎている。
ふと、スサノオは日本の神様ではないという思いが沸いてきた。
古事記
古事記は712年に太安万侶(おおのやすまろ)が編纂し元明天皇に献上されたとある。
語り部によって伝えられた「日嗣ぎ」の伝承を、忠実にほぼそのまま記述したものといわれている。
「日嗣ぎ」とは天皇の位の事をいう。
という事は、歴代の天皇がどういう歴史観を持っていたかという事が重要になる。
古事記はフィクションである。
しかし、でたらめではない。
大和族は日本を統一した人間の一族である。
神の一族ではあり得ない。
しかし、王位の正当性を証明するために、神話を作り上げていく。
各地域の豪族達つまり国津神の歴史を、大和族の都合のいいところだけをアレンジして付け加えたとみるほうが自然である。
国津神の神話を充分意識して、物語は構築されたはずである。
それを検証したい。
中国神話
中国では、盤古(ばんこ)が宇宙開闢の創世神とされる。
天地ができる以前の、卵の中身のように混沌とした状態から盤古が出現したと記されている。
そして天地が形作られたあと盤古は亡くなり、その死体から万物が生成されたと伝えられている。
例えば盤古の息から風が、左目からは太陽が、右目からは月が、頭と体からは中国の神聖な山である五岳(泰山など)がうまれたという具合である。
ウィキペディア
このあたりの件(くだり)は古事記とよく似ている。
「古事記」や「日本書紀」において、伊邪那岐が左目を洗った時に天照大神(太陽)が、右目を洗った時にツクヨミ(月)が、鼻を洗った時に須佐之男命(雷)が生まれたと書かれている。
中国神話と古事記との共通性は、いろんな学者が指摘している。
盤古(ばんこ)の記録への登場は、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王三皇五帝(さんこうごてい)の方が先といわれている。
盤古の登場は史記(紀元前91年)といわれている。
盤古(ばんこ)という名前も、世界中が一つの固まりになっていたパンゲア大陸(ペルム紀から三畳紀)からきたともいわれている。
つまり、ギリシャ語で「すべての陸地」を意味する「パンゲア大陸」を意識して盤古(ばんこ)が創作された可能性がある。
いかにも中国らしい。
三皇五帝の組み合わせは、三皇は神、五帝は聖人である。
それと似た組み合わせが日本にもある。
古事記の「アマテラスとスサノオの誓約」である。
この結果三柱の女神(宗像三女神)と五柱の男神が生れている。
宗像三女神は天照がひきとり、五柱の男神はスサノオが引き取る。
スサノオは高天原から地上に降りるので、最終的には人になる。
アマテラスの子どもは神(3人)
スサノオの子は国津神(5人)
中国の三皇五帝と呼応する。
まあ、3とか5は、世界神話にもよく登場する数字なので、一緒だとは言い切れないが
中国神話の最初の部分だけ、大和は影響を受けたといえる。
影響を受けたのは中国の神話だけだろうか。
古事記が作られた時代には、正式に仏教が伝来されている。
当然、仏教の影響が強いと推測される。
仏教の始まりは釈迦である。
釈迦は紀元前5世紀ごろの北インドの人物とされている。
しかし、仏教と神道は違う。
日本では仏教が伝わった際、日本の神々と習合させている。
これは、自然とそうなっていったのである。
本来信仰は、特定の地域とそこに根付いている氏(一族)達によって作られてきた。
自然信仰の中で神の存在があった。
仏教が日本に浸透していく過程で、当然地域の信仰と融和していったのは、自然の流れである。
古事記はそういった、地域の信仰が溶け込んだ神話をすくい上げていった。
そして、それが日本の神話になったのである。
日本の神話に、いろんな信仰の片鱗があるのは当たり前なのだ。
仏教が正式に伝来されたのは552年とされている。
しかしそれ以前から大陸の文化は、日本に染みこむように伝わっていった。
地(土着)の信仰は古事記の中に必ずある。
仏教そのものが各国へ伝来していく過程で、様々な形へ変化したのは事実である。
釈迦から始まった純粋な仏教は、末端へ裾野を広げた時、その地の信仰を取り入れたのである。
仏像が作り始められたのも、仏の頭の後ろに光背が誕生したのも、様々な宗教の影響である。
ヒンドゥー教
それでは仏陀が生れたインドの神話を調べてみる。
インドには仏教以外にバラモン教、ヒンドゥー教がある。
インドの神話も混沌としている。
ヴェーダ神話
アーリア人がインドに持ち込んだインド・ヨーロッパ語族共通時代に遡る古い自然神崇拝を中心とする。紀元前1500年頃から紀元前900年ごろに作られた最古のヴェーダ文献である『リグ・ヴェーダ』(神々の讃歌)には、未だ一貫した世界観を持つ神話は現れていない。ウィキペディア
このヴェーダ神話がインドの神話と思ってもいいと思う。
インドのバラモン教という名称は、イギリス人がバラモン中心の宗教を呼ぶために作った造語であり、本質は古代のヒンドゥー教である。
ヒンドゥー教には3最高神が3人いる。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、シヴァ神である。
この3人という設定は、日本と同じである。
創造神ブラフマーを天照とすれば、維持神ヴィシュヌは月読命であろう。
そして破壊の神シヴァがスサノオという事になる。
「シヴァ」は、暴風雨など破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。
そしてマハーカーラ(大いなる暗黒)とも呼ばれ、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるという。
漢訳仏典では大黒天と意訳される。
この「だいこくてん」が「大国」と読み替えられて後に日本に浸透していく。
それが出雲の「大国主命」である。
古事記では、イザナギの命令に背きイザナミのいる死者の国(根之堅洲国)に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。
スサノオがマハーカーラ(大いなる暗黒)という性格を持っているからだと推測する。
本来の「シヴァ」の意味とは外れるが、スサノオが死者の国と絡んでくる件は「大黒天」からのイメージだろう。
改めて書くが日本神話は寄せ集めとはいえ、オリジナルである。
しかし、登場する神々のキャラクターに、他の神話の影響を受けていると推測するのである。
スサノオの英雄像は八岐大蛇との戦いである。
この戦いは実に不思議である。
日本では蛇は神格化されている。
この蛇の大型怪獣「八岐大蛇」がなぜ登場したのかが不思議だったのだ。
古事記にも日本書紀にも登場しているのに、肝心の出雲国風土記には登場していない。
日本の龍神は「処女を毎年喰う」という設定はあまりない。
基本的には水神や海神として祀られている神様である。
この龍神と「八岐大蛇」はやはり別物だろう。
なぜオロチだったのかという理由が、「シヴァ」の容姿にあった。
「シヴァ」は首に蛇を巻いている姿でも描かれているのだ。
ここで、スサノオと大蛇「八岐大蛇」がつながった。
まとめ
古事記には、中国大陸の宗教の影響を受けている。
その影響は、中国の道教だけではなく、ヒンドゥー教などから受けている。
もちろんそれ以外の国の神話も影響を与えていたと考える。
神々が生れてくる件は、中国神話の盤古(ばんこ)の伝説の影響だろう。
そして、この盤古(ばんこ)とヒンドゥー教の「シヴァ」からスサノオというキャラクターが生れたと推測する。
スサノオという破壊と英雄的行為の神が、日本神話の中で、その物語の成り立ちに大きく関わっているという脚本は、日本独自の物語である。
スサノオはそのキャラクターの中に、盤古(ばんこ)とヒンドゥー教の「シヴァ」を持っているが、やはり日本オリジナルだと思う。
日本の国は、様々な文化を受け入れてきた国である。
そしてそれを日本流にアレンジして取り込んでいく国である。
様々な国の渡来人と呼ばれた人たちの影響も当然あっただろう。
つまり、キャスティングは世界を参考にし、
脚本は、日本というわけだ。
そして肝心の監督は、大和だ。
二つの九州あたりから面白く読ませてもらいました。
まぁ苦笑いの連続で、こういった知識の読み齧りを独自の解釈とやらで
披露して悦に浸ってる記事を見ると、ほとほと悲しくなります。
この記事だけでもかなりの突っ込み所がありますが
日本語の神をGODと混同するような基本的な見識さえ欠けているのを見ますと
戦後の教育は文化や歴史を蔑ろにしているという年配者の意見に同意したくなりますね。