「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む (1)
先日、諌早の郷土史を借りるため図書館に行ったら、「まぼろしの邪馬台国」の本が本棚にあった。
宮崎康平氏の本で、1967年(昭和42年)講談社から出版され、現在も販売されている。
第一回吉川英治文化賞をとり、邪馬台国ブームのきっかけになり、近年では平成20年吉永小百合、竹中直人で映画化され話題になった事も記憶に新しい。
私が20代の頃この本に出会い、古代史の謎解きに興味を持った。
実はかなり昔に読んだので、面白かったという記憶がメインで細部は忘れてしまっている。
ざっくりいえば、邪馬台国は島原にあったという趣旨だ。
もう一度この本を読み返したら、今でもその発想は古びていないと強く感じた。
そこで、この「まぼろしの邪馬台国」の説を検証したいと思い立ったのだ。
邪馬台国探しは、古代史、考古学の専門家でももめている曰く付きの謎である。
私の軽薄な知識では問題外なところもあり、避けていたのは事実である。
しかし、一度は真剣に調べてみたいと思っているのも事実である。
宮崎康平氏の説を取り上げて、いろいろ考えていく事をやってみたい。
白い杖の視点
このタイトルは本の第1部に書かれている。
宮崎康平氏は盲目である。
盲目になってから、古代史を始めている。
これは大変なことだと思う。
つまり、漢字を読まないで音をきいて、いろんな事を考えようとしたのだ。
それが「白い杖の視点」である。
このスタートは衝撃である。
卑弥呼にしても邪馬台国にしても、漢字表記されたものを私たちは見て考えている。
そして、表音記号として使われている漢字の意味を考えてしまっている。
古代は、音(言葉)が主役である。
古事記や日本書紀に関しては、特にその意味合いが高い。
私たちは漢字に惑わされている。
宮崎康平氏はそう言い切っている。確かに一理ある。
私の場合カメラマンだから、見ることは最重要である。
しかし、本を見ずにその場の風景や史跡を見て考える。
何処か相通じるところがあると思っている。
天(あま)
この本では、最初「天降」のことに触れている。
この「天(あま)」という字が、勝手に天上の世界を想像させてしまっているという。
神々が空の上の天上から降りてきたとは、記紀では書いていないというのだ。
「あま」という音は天上を示すものではなく
「あ」は広いといういみで、「ま」は耕地の意味を持つという。
従って「あま」は天上ではなく、広い耕地を指している。
宮崎康平氏は漢字を読んでいない。
妻が音読したものをテープに録音し、繰り返し聞いて記憶していたという。
魏志、後漢書、古事記、日本書紀の重要部分を耳で聞いて理解しようとした。
そんな宮崎康平氏が「あま」という音を天上という意味ではないと判断したのだ。
もう一例挙げている。
「天の逆鉾」というのがある。
天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)は、日本の中世神話に登場する矛である。
記紀神話では、漂っていた大地を完成させる使命を持った伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神が天沼矛を渾沌とした大地に突き立てかき回し、矛を引き抜くと、切っ先から滴った雫(あるいは塩)がオノゴロ島となったとされていた(国産み)。ウィキペディア
漢字で意味を考えると、天に突きつけられた剣をイメージし、なにか凄い意味があるように感じる。
しかし「あまのさかほこ」を音で聞くと、もっと単純な事だという。
「あま」は「高天原」のあまで、広い耕地を持つ地域で、「さかほこ」とは、佐嘉(現在の佐賀県)製の矛であるという。
佐嘉(現在の佐賀県)は銅鉾文化圏の矛の製造の中心地であった事が証明されている。
だから、「天の逆鉾」とは「高天原」にある「佐賀製の鉾」を指すという。
高天原(たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる日本神話および祝詞において、天津神が住んでいるとされた場所のことで、有名な岩戸の段も高天原が舞台である。ウィキペディア
たしかに、高天原は天上という説明はない。
『古事記』においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたと推測される。ウィキペディア
つまり、推測されているだけである。
当然天上説が一般的であり、その考えは本居宣長の説が代表的である。
更に、戦前は皇国史観と直結しており、天皇家の神性を証明するものとして存在している。
だから戦前、高天原は地上にある実在の地域だという説は、学者達も軍が怖くて一言も言えなかったに違いない。
しかし、地上説は江戸時代からあり、
新井白石の「高天原とは常陸国(茨城県)多賀郡である」
京都朝廷では高天原は大和国葛城
さらに海外説もあった。
日本各地にも高天原は多くある。
葛城・金剛山高天台 - 奈良県御所市高天
高原町(たかはるちょう) - 宮崎県高原町
高千穂(たかちほ) - 宮崎県高千穂町
阿蘇・蘇陽 - 熊本県山都町
阿蘇カルデラ台地 - 熊本県
蒜山(ひるぜん) - 岡山県真庭市
生犬穴(おいぬあな) - 群馬県上野村
長崎県壱岐市
氷ノ山(ひょうのせん)西麓 - 鳥取県八頭郡若桜町舂米(つくよね)
和歌山県の高野山の地名である高野(こうや)
信州川上村の高天原
ウィキペディア
いずれにしても、古代の文献の漢字表記がくせ者らしい。
読みを漢字に転写した時、功名に意味を意図的にすり込んだという。
確かに、読みを漢字にしたとたん、そこには意味が生じてしまう。
空海が密教を日本に持ち帰った時、サンスクリット語を巧みに日本語に置き換えた。
般若心経がその代表格である。
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦」
ギャーティ、ギャーティ、ハーラーギャーテイ
これは、サンスクリット語の呪文である。
漢字にしたとたん、不思議な力を持ってしまう。
身近な例とすれば、日光がある。
昔は「二荒(にこう)」とよんでいたものを「日光」に変えたのである。
逆もある。
「日光カメラ」がニコン、「観音カメラ」がキャノンになった。
話がそれたが、宮崎康平氏の「まぼろしの邪馬台国」は音の世界で得た発想である。
それがとても新鮮だと思う。
見る、読む、聞く、触るなど感覚はたくさんあるのに、「漢字を読む」事だけしていると違う考えが支配してしまうのかもしれない。
私は縄文の遮光器土偶を見た時、カエルの精霊だと思った。
遮光器土偶を四つん這いにしてみるという、カメラマンとして「見る」事の想像である。
これは別にカメラマンの特技ではない。
一つのものを見て、色んな形に想像をするのは、デザイナーや漫画家がよくやることだ。
だから、音だけで古代史を理解するのも同じ事だと思うのだ。
古代人のレベルで想うことは素晴らしい。
宮崎康平氏の「まぼろしの邪馬台国」はまだまだ続く。
「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む