4ナンバーアルトバンの旅 南九州車中泊の旅(4)

宮崎の海岸を行くと突き出した岬が有り、そこに鵜戸神宮がある。

鵜戸神宮

日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっている。ウィキペディア

そこには鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)が祀られている。

前にも書いたが、この神様は瓊瓊杵尊の孫で神武天皇の父親だ。

鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)とはなんとも不思議な名前である。

お母さんの豊玉姫は海の世界(龍宮か?)の人間で、本来は海で出産する予定だったが、お父さんのヒコホホデミ(山幸彦)が陸で生むべきだとして、鵜(ウ)の羽で産屋の屋根を葺(フ)きはじめたのだが、屋根を作り終える前に出産してしまう。

そんな話から鵜草葺不合命となったという話である。

この神様いろいろと謎が多い。

1.通常天皇家の名前は、稲を意味する「穂」という漢字が入るのが通例だがこの神様だけ入っていない。

2.業績が何も書かれていないたため、架空の存在とも言われている。

鵜戸の鵜(う)は、あの鳥の鵜である。漢字の「鵜」(テイ)は元々中国ではペリカンを意味し熱帯域に生息する。

私達が知っている「鵜飼」は少なくとも5世紀以降に日本にあったという。世界ではインド以東のアジアで行われていたという。

いろいろ考えることも多い。

鵜戸神宮

この岬の山(吾平山)に古墳があることで昔から人がいたことは間違いないのだが、大和族の成り立ちに大きく関与している場所な事は確認できた。

今日は5月5日流石に人が多い。先日テレビのブラタモリで紹介されたことも有り、賑わいは半端ではない。

「運玉」投げなどのイベントもあるが全く興味がなく、しっかり撮影した後出発する。

青島神社

次は青島である。

青島

青島神社の祭神は天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)と言い、一般的には山幸海幸神話の山彦である。

山彦は天孫降臨した瓊瓊杵尊の子供で、母親は木花咲耶姫という。

ここは昔より観光名所で、鬼の洗濯板という岩場が続いている、これも又不思議な場所である。

鬼の洗濯板

古くから青島自体が霊域として崇められており、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。ウィキペディア

参道の入口は車で混雑し、有料駐車場も何台か待ってやっと入ることが出来た。

参道の両脇には、観光客相手の店が並び、マンゴージュースを盛んに売っているし、植物園もあり南国ムードをしっかり演出している。さすが観光地だ。

 

島の参詣道の両側は鬼の洗濯板で囲まれ、絶景と行っていいだろう。

青島神社

神社に行くと、鵜戸神社と似たような作りだったが、絵馬を飾る場所の奥には元宮という神社が元あった場所があり、磐境に土器(平か)を投げるおまじないがあった。

青島神社

磐境(いわさか)とは堅固な神域、または祭壇を意味するという。この雰囲気は対馬の神社で見たような気がした。

宮崎と対馬では距離がありすぎるが、海族のつながりがあるような気がする。

これも又、研究課題である。

鵜戸神社も青島神社も、神社自体は作り直しなのだが、大きく様式は変えていないという。

この宮崎の海岸沿いに、神から人への物語が有り実に興味深かった。

この神社の写真や資料はネットにもふんだんにあるのだが、一度その場所に行ってみたかった。

特別な発見はなかったが、やはり行ってみないとイメージがあやふやになってしまう。

連休中なので混雑を恐れて二の足を踏んでいたのだが、思い切って行ってよかったと思う。

このあと、神武天皇を祭る宮崎神社にも寄ってみたかったのだが、時間が思ったよりかかり、長崎までの長い道のりと車のトラブルを考え、帰路につくことにした。

古代史の推理も、机上の空論だけに終わらないよう、現場に立つことは重要だと思う。まあ、仕事がカメラマンなので実益もある。

往復1000キロの旅で流石に疲れた。

しかし南九州は実に面白い場所である。

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