日本と朝鮮半島(1) 古代朝鮮半島には人が住んでいなかった

日本の古代史を調ていくと、中国大陸と朝鮮半島が確実に関わっている事がよくわかる。

現在は、中国と韓国は日本と仲が悪く、突っ込んだ調査ができないことと、自国のナショナリズムに偏った歴史を語っているので、事実がよくわからない。

そこで、事実を洗い出してみたい。

朝鮮半島にはいつごろから人は住んでいたのか

朝鮮半島

これには二つの説がある。

AI 朝鮮半島には、70万年前から人が住んでいます。動物の骨や角で作った道具と打製石器を使用していた旧石器時代の人々の代表的な遺跡には、平安南道、祥原、コムンモル洞窟、京畿道、漣川郡、全谷里などがあります

 

この説には反論がある。

 

AI 現生人類の祖先であるホモサピエンスが、歴史の中に登場したのは、せいぜい30万年前の話です。彼らがアフリカを立ち去ったのは、10万年前後だと知られています。
100万年前、朝鮮半島に住んでいた人類はホモ・エレクトスでした。彼らは火を活用する事ができ、シンプルではあるが言語を使い、初期的段階の石器を利用する事ができました。

しかし、彼らは肉体的に現生人類であるホモサピエンスより弱い方でした。また、ホモ・エレクトスの脳の容量も現生人類の1,350ccより小さかったです。彼らは約10万年程度前に、地球上から完全に絶滅しました。

これが事実である。
https://exidbjp.tistory.com/242

 

AI 一方、2022年の韓国研究者による有機物の分析(炭素14法)では、2万年前から8千年前の朝鮮半島南部は、「ほぼ無人」であったと指摘されています。2万年前に氷河期が終わると、気候変化で住民は北へと移動した可能性が高いそうです。

 

つまり、朝鮮半島の超古い歴史が述べられているが、それは旧人たちの遺物だったのだ。

AI 半島では、「BC一万年年からBC五千年の旧石器時代」の、5000年間の遺跡が50か所ほどしか確認されていません。これにより「この5000年間は、ほとんど無人と言う表現です」。

 

前述の2万年前から8千年前の朝鮮半島南部は、「ほぼ無人」であったという表現が、朝鮮大好き人には、いろいろ癇に障ると思われるが、遺跡が50か所見つかっているので、全く無人だったわけではない。

また、韓国国立中央博物館(1993年)の年表に紀元前1万年から5千年の欄が空白になっている事も話題になっている。

 

土器について

櫛目文土器と縄文土器

旧石器時代の後に、櫛目文土器時代がくる。

朝鮮半島において、櫛目文土器は4000年前くらいから現れるようになる。ウィキペディア

旧石器時代が終わって、すぐに櫛目文土器時代が来たわけではないようだ。

その間4000年が空白なのである。

しかし、その間の期間に土器の発見が極端に少ないという事は、その時代朝鮮半島にはホモサピエンスがいなかったといってもいいだろう。

また、朝鮮半島最古の土器は、紀元前6000年頃に製作された「隆起線文土器」です。その後の紀元前5000年頃、「櫛目文土器」が中西部地域で作られ、瞬く間に韓半島全土に広まりました。

 

日本の場合を見てみる。

日本列島における土器出現は、およそ1万3000年前、長崎県の泉福洞穴で発見された豆粒文土器や隆起線文土器である。

さらに岩宿遺跡(いわじゅくいせき)の発見によって、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。発掘調査によって関東ローム層の別々の層から2つの石器群が発見された。このことから約3万年前と約2万年前の2つの異なる文化の段階が分かる。

 

岩宿遺跡

 

ここで驚くことは、遺伝子研究から、日本列島では既に4万年近く前に今の日本人男性につながる現生人類のY染色体ハプログループDが暮らしており、この早い時期に今の日本人男性にも多く受け継がれていて、かつ、日本人男性に特有のD1a2が誕生したと考えられている。

これは、世界の中で見ても、ダントツに早い段階でホモサピエンスが暮らしていたという証拠である。

 

日本列島と朝鮮半島では、これだけの違いがある。

これは、日本が約1500万年前に日本海が拡大し、大陸から切り離された事が大きいだろう。

もう一つ、大事な要素に気候というのがある。

気候の変化

今から8000年前頃には日本海に対馬海流が本格的に流入しはじめ、朝鮮半島の気候は現在に近いものとなったという。

朝鮮半島は日本に近いけど緯度は高い。

現在の朝鮮半島は大陸性気候だが、南部の海岸地方は海洋性気候の影響を受けていて、南部の気候は温帯。北部は大陸性の亜寒帯気候で、夏は涼しく冬の寒さが厳しい気候である。

8000年前以前は、半島のほとんどは大陸性気候で寒い地域だったのだ。

人があんまり住みやすい場所じゃなかったので、住む人が少なくて当然だ。

そして8000年前以降、南部の気候は温帯になる。

朝鮮半島最古の土器は、紀元前6000年頃に製作された「隆起線文土器」で、土器の出現と気候の変化が関連しているのがわかる。

明確な結論は出ないが、一万年前まで旧人が住んでいたが、一万年前は氷河期で、気温は現在の気温より7~8度低く、火山活動も活発だったと考えられている。

そして旧人は滅び去ってしまった。

8000年前頃には日本海に対馬海流が本格的に流入し、南部は温帯になった。

そして、紀元前6000年頃に「隆起線文土器」が発掘されている。

年代の幅は研究者によって違うが、空白時代があったのである。

紀元前6000年頃の「隆起線文土器」を作ったのは、誰かという問題である。

この問いをAIに聞いてみた。

朝鮮半島で紀元前6000年頃に作られた「隆起線文土器」は、縄文式土器です。縄文人が日本列島から朝鮮半島にこの時期にわたったことが推定されています。

 

これが現在の回答である。

コメントを残す