進化の話は大好きである。
地球の歴史と生物の歴史は謎に満ち溢れている。
なぜ生物は進化したのか。
なぜ生物は進化しようとしているのか。
興味本位の域を出ないが、いつも気になっている事である。
今回思いついたのは「なぜ動物は食らいあうのか」という事である。
弱肉強食、食物連鎖、命が命を食らいあう地球の生物
食べなければ、栄養が取れなくて死んでしまう現実がある。
なぜだろうか。
なぜ植物のように、光合成で栄養素を作るシステムを動物はとらなかったのだろうか。
しかし、こんな小学生みたいな「なぜ」に学問は答えてくれない。
なぜ目は誕生したのか
NHKスペシャルの番組で生命大躍進「そして目が生まれた」という番組を見た。
「今から約5億年前、それまで目を持たなかった祖先が突如として精巧な目を持つように進化しました。(テレビのまとめ)
この番組の中で、一番衝撃的だったのが
植物から動物へ遺伝子が移動したという実例が紹介されたからだ。
クラゲの目は、ウズベンモウソウ(渦鞭毛藻)という森の木々と同じ植物の仲間の光センサーと同じだった。
ウズベンモウソウのDNAを調べたところロドプシン遺伝子が見つかりました。
その生き物はウミウシ(エリシア・クロロティカ)です。このウミウシは餌を食べなくても光を浴びるだけで生きることができます。動物なのに葉緑体を持っていて光合成が出来るのです。
http://tvmatome.net/archives/1971
つまり、種を超えて能力が移動するという事が起りえたのだ。
こんな事を誰がやったのか。
さらに、この他の生物から移動した特質を、ゲノム重複という4倍ものDNAの奇跡的な出来事が重なり、カメラ眼という組織を作り上げるという。
ミトコンドリアの謎
ミトコンドリアは、人間を含むほぼ全ての生き物の細胞に存在している真核生物である。
細胞は核を持っているが、ミトコンドリアも核を持っている。
核を持っているということは遺伝子も存在する。
つまり、私たちは、ミトコンドリアという生物と共存している事になる。
ミトコンドリアはエネルギーを変換して細胞に栄養を供給している存在となっている。
昔流行った瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」はミトコンドリアの共生をテーマにしたホラー小説である。
酸素呼吸能力のある細菌が細胞内共生をして存在し続けたのがミトコンドリアの起源という説がある。
どうやって取り込まれたのかは、究明できていないが厳然とした事実である。
遺伝子の水平伝播
遺伝子は母から娘という血統だけで伝わるのではなく、細菌や原生生物などでは、感染などの作用で遺伝子が直接伝播することがある。
進化するにはある程度の個体数が必要だ。
たとえば、魚が陸に上がったとき、1匹だけでは死に絶えてしまう。
ある程度の個体数が進化のシンクロしなくては生き残れないのだ。
高等生物で遺伝子の水平伝播が起きるのかは不明だが、これが起きないと生き延びてこれなかったのも事実だ。
深海生物の発光の謎
またもやNHKの話で恐縮だが深海動物の謎を扱った番組も見た。
深海生物の発光するシステムは、発光する事の出来るバクテリアを食べて
発光するシステムを獲得したという話である。
これもまた驚きである。
光の届きにくい地域に住んでいるので、自ら発光システムを進化させたと思っていたが、発光するバクテリアを食べるという手段を使っていたとは以外だった。
外来遺伝子の存在
人間には祖先から伝えられたものとは異なる、”外来”遺伝子が組み込まれている事が判明(英研究)
人間のDNAの一部は我々の祖先に由来しないことが判明した。”外来”遺伝子が組み込まれているというのだ。科学者によれば、我々は太古の時代から共生してきた微生物の”外来”遺伝子を獲得してきたそうだ。
http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52187445.html
進化とは何かということを考える必要がある。
環境に適応するように、体を進化させるのは逆に危険である。
その環境が変わってしまえば全滅してしまうからである。
脳を食べる部族に脳疾患に対する遺伝的な耐性が現れたことが判明
長きに渡って脳を食べ続けた結果、クールー病、狂牛病、一部の認知症などといった危険な脳疾患に対する遺伝的な耐性を身につけた人がフォア族の中に現れたのだ。
http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52194440.html
これもまた、ありえない事である。
カニバリズムとは人間が人間の肉を食べる行動、あるいは習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジー(英: anthropophagy)ともいう。
これは世界中の人たちが過去に持っていた儀式の中に存在していた。
理由は様々だが、宗教的な理由がすべてとされていたが遺伝的体質を脳を食べて獲得できていたとはまさに驚きである。
共食いは恐ろしい病を引き起こす。
狂牛病などがそれである。
しかし、共食いをすることで得られる事があったという実例が出てくるとは誰も予想しなかっただろう。
動物は動物を食べて栄養を補給する。
なぜこのシステムを地球の動物は取り入れたかはわからない。
半村良の小説の中に「お互いに食らいあう、阿修羅のような世界」という表現があった。
食べるという行為が、エネルギーの補給だけではなく、他の生物の能力を奪い取るための複線じゃないかなと考えてしまう。
ダーウィンの進化論はある意味正しい。
穏やかな時間の流れの中では、穏やかな変化を生命は行うのだろう。
ただ、急激な変化の場合、色んな手段を使って大きくすばやく変化していく。
変化するため一番効率がいいのは、食べる事だと思う。
今でも、ヨーグルトを食べて腸内細菌を取り込んでいる。
ある程度高度に進化した体は、オプションとして付加価値を取り入れたほうが効率的なのだろう。
食べるという行為。
生命が生命をたべるという、大胆なエネルギー補給作業が、もし進化すればフォア族の様に、一つの特別な能力を得る事が容易になるのかもしれない。
地球に天変地異が起り、動物が絶滅が迫られた時
この逆境を打破するための能力を獲得する為の行為が、食べるという事だと思えてならない。
新人類が登場したのが、20万年ほど前である。
地球の生命が誕生して35億年といわれている。そして恐竜は2億年以上繁栄していた。
人類はまだまだである。
あと1億年ほど未来に人類が生き延びていたとしたら、食べるという意味が大きく変化しているかもしれない。
楽しみである。