日本が不気味な方向に流されているのが気になる。
朝鮮半島の不穏さや、中国の無法。最近はアフガンでの悲報もあった。
慢性的な「ひきこもり」は解消できず、裁判官の判決は、民意と乖離しすぎている。
ネットでは、左翼と右翼が火花を散らし、愛知トリエンナーレや沖縄の反日左翼の無法状態のビデオが毎日流れている。
いろんな問題が解決出来ずにいる原因の一つに、国民の「復讐心」の欠如を感じている。
復讐の勧め
復讐というと、道義に反した事と日本では教育され続けてきた。復讐は愚かな行為という価値観が定着しているが、本当にそうだろうか。
復讐という言葉が嫌なら、報復という言葉に変えてもいい。もっと柔らかな言葉を使えば「雪辱を果たす」でもいい。
要するにプライドを傷つけられたら、そのお返しをするといった気概の問題である。
他人による無法で愚かな行為で、自分自身のプライドが傷ついたら、その仕返しをしっかり考えないと、何度も無法な被害を受けてしまうからである。
報復の心理学的分類
挑発的攻撃は悪いと判断する一方で、報復的攻撃・制裁的攻撃は許容することが観察されており、幼児においても「報復的公正」への理解があるとされる。防衛 (自己目的、回避)報復 (自己目的、報復)擁護 (他者目的、回避)制裁 (他者目的、報復)攻撃行動は「悪い」行動として道徳背反行為とされるが、実際には常に「悪い」と判断されない。社会心理学の研究では、被害の回避を目的とした正当防衛などの攻撃行動や、加害者への報復行為・報復的攻撃については必ずしも悪いとは判断されずに、文脈を考慮して判断され、攻撃行動が許容されることもある。 ウィキペディア
これが、世界の一般通念なのである。
中東戦争、報復関税、対テロ戦争。そして、身近な裁判制度こそ、国による報復なのだからだ。
話し合いの無益さ
話し合いによって抗争を解決するという方法は、理想とされている。しかし、あくまでも理想であり、現実にはほとんど機能しない。
これは、共産主義が理想の政治体系として、革命を起こした、ソ連や中国で実証済みである。
話し合いは、両者が理性的である事が、大前提である。その前提がある場合はまれであり、ほとんどないといっていいだろう。
人間社会は、報復、復讐攻撃の怖さで、均衡を保っているのであり、その上で、平穏な状態(平和)を保っているに過ぎない。
この論理は、全世界の共通認識なのに、理想主義のリベラル派によって、悪のレッテルが張られているだけである。
ハンムラビ法典
この話になると、古代メソポタミアの、『ハンムラビ法典』の「目には目を、歯には歯を」の事例がいつも引用される。
この考え方は、報復を奨励したものではなく、無制限報復が一般的だった原始社会において過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を制限する目的があった。
復讐は大切なのだが、馬鹿にされただけで、相手を殺すのは行き過ぎだという事にある。目をつぶされたら、相手の目をつぶす程度で良しとしなければならないという、現代に通じる、量刑の重さを考えている法律であった。
なので、バランスのいい復讐は社会の守る大切な仕組みなのである。
法律枠内での復讐
復讐が正しくても、日本国で暮らしている場合、国家に復讐をゆだねなければならない。
法律という存在があり、リンチは罰せられるからである。これは、力の弱い者たちにとっては、ありがたい存在なのだが、完ぺきではない。
なので、その復讐が十分でない裁判の判決に、みんな苦しんでいるのである。
最近の殺人罪に対して、死刑が減刑され無期懲役になっている事例に、日本中がざわめいているのが、そのいい例である。
残念ながら法律の問題なので、政治がこれを解決するしかないのである。
日本における復讐による正義
世界もそうだが、日本も復讐によって正義が守られ続けてきた経緯がある。
鎌倉以降の武家社会では、自分のプライドを守ることが第一だった。攻撃を受けた場合、それに対して復讐をしない者は、武士ではないとされたからだ。
この精神性こそ、日本人の強さの秘密であり、この事は戦争でも大いに発揮されている。
日清日露の戦争も、大東亜戦争にしても、西洋人のアジア侵略に対抗した復讐戦であり、自ら仕掛けた戦争ではなかった。
いまだに、仇討ち物である忠臣蔵が人気なのも、半沢直樹の視聴率がすごかったのも、そのせいである。
リベラルは、物事を解決しようとしていない
昭和の時代は、この報復思考は当たり前であった。子供のころ、いじめられたらやり返せと教わっていた。
ところがこういう考えは、駄目だという事になっているような気がする。
攻撃を受けても、復讐はせず、まず話し合いを持つのがベストだと、社会主義思想のリベラル派は、子供たちを洗脳している。
そのせいで、いじめは学校に蔓延し、理想論で構築された先生や親たちは、何の解決策も見いだせていない。
理想論者は、物事を解決しようとしていない。
だから何も解決しないのである。
問題を解決しようと思えば、具体的な報復行動をとらなければならなのだ。
核兵器廃絶の声も、地球温暖化でも、動物愛護運動でも、根本的な問題を解決しようとしない左翼リベラルの扇動に乗って、騒いでいるだけの話である。
核兵器廃絶を望むなら、核兵器を持っている国へ直接行って、デモでも話し合いでもすればいい。
二酸化炭素による地球温暖化問題でも、まず中国やロシア、アメリカに対して戦いを挑めばいい。
動物愛護運動なら、生き物を絶対食べないハンガーストライキを何年もやればいいのである。
それらをしないのは、問題を解決したくないだけの話なのだ。
報復思考の勧め
大きな国の問題も、報復政策を中心に据えれば、問題があぶりだされてくる。
個人に関しても同じなのだが、もし危害を受けたのなら報復する気持ちが一番重要になってくる。
何も考えない腰抜けが、社会主義の理想であり、国家権力がすべてを代行するという、共産主義は人類を最悪の状態に連れて行くだけである。
一度受けた恨みは忘れてはいけない。
日本古来の昔話の「かちかち山」「さるかに合戦」を思い出そう。
やられたら、やり返してこそ、正義が遂行できる。
これが報復思考の勧めだ。