桜の慌ただしさも去り、新緑の五月。山々が何となく近くに見えるような、日差しの強い日。
美穂ちゃんと俺は「女子カメラ」用の撮影に出る事にした。
美穂ちゃんにはトイカメラと、一眼レフのデジカメを渡し、俺はC330をバッグに入れた。
美穂ちゃんは街の方に行くといいさっき出て行った。さて俺は何を撮ろうかと思案中だ。
姫川美穂は長崎市の浜の町へバスで移動する。
今まで雑誌に載るような写真など撮影した事はなかった。
生まれは福岡県だが、佐賀県との県境の小さな町で生まれた。両親と兄の四人家族。姫川家の両親は子煩悩で子供をよくかわいがっていた。
兄は成績優秀で母の自慢の息子だった。美穂はそれほど勉強が出来たわけでもないが、駄目なわけでもなかった。おとなしく目立たない。そんな印象の中学生時代を経て、地元の私立高校へ進学。地方の場合、公立高校の方が成績優秀だ。高校で写真部へ入部。
写真が好きな訳じゃなかったが、イケメン先輩が好みだったという理由。先輩の影響で少し写真をかじった。写真雑誌に応募したら、コンテストの佳作に選ばれ、美穂の中で写真が大きな位置をしめる事になった。
大学進学の時期になると、父親にねだりアート系の写真学部のある三流の大学へ進学した。しかし、大学時代の4年間、特別写真にのめり込む訳ではなかった。
同級生も同じようで、地方の写真館の息子であったり、格好だけでこの大学を選んだ奴ばかりだったのだ。入学試験など形だけで、割高の入学金を払えば誰でも入れる大学だったのだ。
当然クラスの偏差値は驚くほど低く、知的な仲間など皆無だったからだ。講師陣は高額の報酬で非常勤をやっている現役も多く、授業内容は意外と高度だった。写真は感性だけでは成り立っていない。
知的である事も重要な職業だ。薬品などの化学的な知識、光とフィルムの関係、色温度などの科学的な知識、カメラの構造など機械的な知識、デジタル処理のためのパソコンの知識など、写真職人になるためには意外と覚えなければ行けない事が多い。
その上での思想的な姿勢を求められる。そんな授業にまともに付いてこれるのはほんの一握りの学生たちだった。美穂はかろうじて授業には出席し、卒業だけを目指す女子大生だったのだ。
写真はあまり撮らなかったが、映画と本だけは熱中していた。大学時代なんてそれで十分なのかもしれない。無事に卒業したのだが、三流大学の写真学部など就職出来るわけではなかった。両親は地元に帰るように言ったが、東京の水になじんでしまった美穂は、まだ田舎に引っ込む気はなかったが、プロのカメラマンの世界をなまじっか知ってるだけに、アシスタントや写真事務所に飛び込む勇気もなかった。
名前だけ写真学部だが実力と知識は、プロとして通用しない事はわかっていたのだ。いろいろ漠然と考えた結果、写真発祥の地長崎を選んだ。地方なら肩書きだけで何とかやっていけるような気がしたのだ。要するに逃げの姿勢から長崎にやってきたのだ。
しかし、地方は思ったより厳しかった。アルバイトで1年生き延び、その間いろいろ探したあげく澤田のスタジオに面接を受け、アシスタントになったのだった。
初めて触れるプロのスタジオの雰囲気に高揚し続けている。しかし、給料はかなり安かった。それはしょうがないとあきらめている。何とか切り詰めて生活しているが、時折実家に金の無心をしている。
写真の実力は澤田からすっかり見透かされているので、幼稚園のスナップ写真しか撮影した事がなかった。しかし、そんな撮影でも「カメラマン」と呼ばれる快感は病みつきになる。
今回は雑誌だ。めいっぱい興奮しているのだ。いろいろ考えたあげく、異国情緒溢れるグラバー園に行く事にした。長崎は撮影場所には事欠かない年でもあるのだ。
俺は車で稲佐山の中腹に行く事にした。
くねくねとした登山道路を二〇分ほど行くと、見晴らしのいい場所へ出る。長崎港で花火大会がある時に使う場所だった。
「日差しははオッケーだ」
何気ない風景でも、六六というフィルムを使う事でリアリティーが強烈に出てくる。
どうせ美穂ちゃんは甘ったるい写真ばかり撮ってくるに違いない。そんな写真との対比もおもしろいと考えたからだ。
今回は白黒フィルムを使う。いくらデジタル全盛とはいえ、白黒フィルムの美しさは別物である。
カメラをセットする。ピント合わせは、カメラの下についているダイヤルを回す。露出はもちろんマニュアルだ。
露出計を持ってきた。久しぶりに使う。
「セコデラ」
正式名称はセコニックスタジオデラックスという奴。プロのカメラマンの必需品だ。もちろんデジタルも出回っているが、僕はこれで満足している。
手元で明るさを測る。やや曇りだが、明るい。フィルムの感度はASA100。今はISOという。シャッター速度は1/250でF8。
白黒のネガフィルムなので1絞り出た目に乗せ1/125、F8。
ファインダーをあけ、付属のルーペーを跳ね上げる。ウェストレベル式ファインダーのカメラは、被写体はファインダーのすりガラスに逆に映る。慣れてくると、頭の中で正立画像と同じように撮れるものだ。
絞りをF8に合わせ、シャッターをセットする。二眼レフの場合、レンズ側に絞りとシャッターがある。ウエストレベルファインダーなので、猫背で構える。
ブレを防ぐ為に体を丸め硬くする。下についているシャッターを軽く押す。
押すというより、手前に引くといった感じ。
パシャ。
軽いシャッター音が響く。懐かしい感じだ。
今でもRZ67をたまには使っているのだが、RZ67の派手なバシャッというミラーを跳ね上げる音がない。4×5と同じパシャで1枚撮れる。
66サイズなのでブローニーフィルムでは12枚撮影できる。
ダイヤルを回し、フィルムを巻き上げる。
2枚目からは、体が、手が自然と動くようになった。まるで、小中学校の校歌がイントロが始まると、忘れていたと思っていたメロディーが突然よみがえる感覚だ。
真四角のファインダーに、妙に興奮し長崎港を対岸から撮影した。12枚はあっという間だ。
次の日、このフィルムを現像する。
ダークバックに、ステンレス製のLPLの現像タンクとリールを入れる。久しぶりなので、現像リールに巻くのに手間取る。セットしたら、液温を20度にしている現像液を注入。
アイパッド2のストップウォッチアプリをスタート。1分ごとに10秒攪拌。指定時間どおり8分で完了。水道水で停止をし、定着液を入れる。
昔、何度も繰り返した作業だ。何の不安もない。水洗が終わったので、ネガを確認する。昔も今も緊張する所だ。
昔は現像が上がるまではらはらしていたのだ。
「少し、乗り過ぎたか」
ちょっと固めのネガだが、合格点だ。物干しを風呂場にかけ、大き目のクリップを重し代わりにする。今日の作業はここまでだ。
翌日、昨日撮影したネガを、フィルムスキャナーにかける。
昔だったら、暗室でベタ取りだったな。
フィルムの場合、スキャン解像度を高くしないと行けないのでスキャンにやや時間がかかった。
JPEGの画像をフォルダに入れて、アドビのライトルームを立ち上げる。全体を見るには、フォトショップよりもこちらの方が、チェックしやすい。
ネガなので、すべて反転して、1枚ずつチェック。
思わず、マウスが止まった。
「なんじゃ こりゃ」
写っている景色が俺が撮影したカットではないのだ。確かに同じアングルなのは間違いないのだが、現代ではない。豪華船が止まっていた松ヶ枝埠頭が写っていない。
旭大橋が写っていない。画像を3倍に拡大して、チェックをする。
「まてよ。これは、出島じゃないか」
さすがの俺も絶句した。それから1日、12枚の写真を見ながら、ネットで調べまくった。
撮影した写真は、江戸時代初期の頃の長崎の風景だった。つまり、俺は過去を撮影したのだ。
フィルムは市販品だし、薬品は普通のやつだ。ということは、このカメラが原因だと確信した。
少し考えてC330を持ち込んだ、平成マガジンの泉川に連絡をする。
「泉川くん。あのレトロカメラの件だけど」
「澤田さん、やっぱり写らなかったですか。すいません」
先に謝られてしまった。
「いや、そうじゃなくて、お祖父さんの倉庫にあったっていってたよね。お祖父さんはどこから手に入れたのかな」
「持ってくる時、祖父ちゃんに聞いたんですが、いつの間にか倉庫にあったって言いました。祖父ちゃんはカメラには全く興味がないので、勝手に持って行っていいと言われたんですよ。
なんか古いし今回の企画に使えるかなって思ったんですが、やっぱり駄目でしたか。澤田さんが欲しいならあげますよ」
「えっ。貰えるの」
「いいですよ。スタジオの飾りにでもしてください」
やった。俺のものだ。
「タイムカメラ」
それから俺が長崎を撮影しまくったのは、言うまでもない。
第1章 港の見えるスタジオ-1
第2章 女子カメラ-2
第3章 二眼レフ-3
第4章 タイムカメラ-4
第5章 ワームホール-5
第6章 アイドル殺人事件-6
第7章 推理-7
第8章 転びバテレン-8
第9章 デンデラリュウの謎-9
第10章 ペーロン船-10
第11章 ラシャメン-完結