美穂ちゃんが言うように、リュウバとはデンデラリュウの歌詞の一部なのかもしれない。
そもそも、デンデラリュウの歌は、長崎県民なら誰でも知っている歌だけど、歌詞の意味は諸説あり、決定打がない歌である。
とりあえず調べてみる事にした。歌詞はこうである。
でんでらりゅうが(ば)でてくるばってん
でんでられんけん でーてこんけんこんけられんけん
こられられんけんこーんこん
とにかく、長崎のわらべ歌である。僕自身も子供のころから、何度か口ずさんだことがある。不思議な歌詞と、調子のいいメロディーが耳のそこにこびりつくようで、忘れられない。
最近、いろんな方がCDに吹き込んだりしていて、長崎の歌として市民権を得ている。
改めてこの歌のことを調べてみると、起源が明確でないとのことである。長崎を中心に九州地方に流行、それぞれの方言でアレンジされて歌い継がれ全国に広まり、小学校の音楽の教材にも取り上げられていたことがあるらしい。これに目をつけてキングレコードが、現代風の詞と音楽をつけて昭和52年にレコードを出している。ちなみに前田良一氏の作詞作曲・歌とある。
単純に、何かが出てくるんだけど、出てこれなくなった。という意味なのは間違いない。
それにしても、デンデラリュウという言葉が妙に耳に残るのだ。
「美穂ちゃんはこの歌は知ってるよな」
「当たり前です。知ってますよ。色んなものによく使われているから」
「どんな意味だと思う」
「誰かが来れなくなったって言う意味でしょ」
「そうなんだけど、この最初の歌詞が問題だよな。でんでらりゅうがでてくるばってんって何だと思う」
一応大学卒業の美穂ちゃんは、まともな事を言った。
「よくわかんないけど、形容詞みたいなやつでしょ。
強調するやつ。たとえば、どんくさいとか、ドン引きとか」
「どんばかりだな。どんくさいは鈍いという文字を使って鈍臭いって書くし、ドン引きは撮影で使われる業界用語で、目一杯引いて撮る事を言うんだ。
まー強調ってのも間違いはないだろうけど」
「出ることが出来るのを、でらるっと今でも言うけど、でんでらるっとは言わないな」
パソコンの前に座りなおし、ネットで調べた説を読み直した。
1.「夜這いの歌」説、「丸山の女郎さんの歌」説
2.凧上げのときに長崎で歌われる歌で、意味は「でんでら竜」「でんでら」はにわかに広がる雲は即冒頭の「でんでら」は、雲がにわかに広がる様子を表現した擬音でした。
3.「でんでら」とはオバケのことで、この歌を歌ってるとオバケが出てこないとか。
「夜這いの歌なんかは、もっともらしいな」
そんなに深い意味はないと思う
違うホームページでは、曲のことも載ってあった。
明清楽資料庫ホームページから一部抜粋「でんでらりゅう」は、童歌でありながら、日本のいわゆる「わらべ歌音階」(ラドレミソラ)とは異質の「ドレミソラ」という中国風の明るい五音階からなっている。
長崎といえば、明清楽の中心地。
「でんでらりゅう」の元歌も、明清楽なのであろうか?
明清楽ってあんまり耳なじみがないが、九連環は年配の方なら知っているかもしれない。
いかにも中国風の柔らかいメロディーである。
その九連環をまねた歌が「かんかんのう」だ。その後かんかん踊りとして庶民に広まっていった。
じゃんけんに負けると洋服を脱ぐという野球拳もかんかんのうをアレンジしており、九連環の流れをくんでいると言ってもいいだろう。
長崎で中国の楽器と言えば、胡弓とか月琴が有名である。
坂本龍馬も月琴を弾いていたと言われている。
長崎は丸山という花街があった。
そこでの宴会の際、中国風の音階を持つ「でんでらりゅう」が歌われたという想像もあながちでたらめではないと思う。
ということは、色っぽい内容だと言うことだ。
「でんでらりゅうが」と「でんでらりゅうば」の二つの言い回しがある。
長崎弁は、ばもよく使う。それをするをそいばすると言うからだ。
「が」と「ば」では微妙に違うのだが、何となく違和感はない。
まー花街で、宴会の時歌うのだから、正しい歌詞などないだろう。
花街に出てこれない男たちをからかった歌とも思える。
たとえば、昭和中期期にはやった覚え易い言葉遊び的な歌詞、森山加代子の「パイのパイのパイ」とか「じんじろげ」なんかのように、言い回しの面白さだけなのかもしれない。
「でんでんむしむしかたつむり」なんてやつかな。
「出てこい出てこい」がでんでらりゅうばでてくるばってんなのかもしれない。
うーん。少し行き詰まってきた。
「先生。ポケモンの歌って知ってる?ピカチュウカイリュウヤドランピジョン」
「ポケモンは知ってるけど、歌まではしらないな。じゅげむは知ってるけど」
「ピカは、攻撃をする時の雷で、チュウはねずみの事。
でんでらりゅうもそんな感じがするんだけど」
「なるほどね。難しく考えるよりも、単純な感覚的な意味あわせかもな。
長崎でピカドンというと原爆の事だ」
「簡単に、でんでらの龍(りゅう)じゃないの。
長崎は龍踊り(じゃおどり)が有名だし、最近「でんでら」っていう映画があったし」
そう、映画では「でんでら」という姥捨て山の共同体の事だった。東北にはデンデラ野というのがある。遠野物語に書いてある。岩手県遠野市に存在する場所で別名は蓮台野。
れんだいのと読む。これが東北弁により訛って「デンデラ野」に転化したと言われている。蓮台とは菩薩が座る蓮の花の台座の事だ。仏様は蓮の葉の上にいつも座っている。姥捨て山は、生きている老人たちの墓場である。ホンとに死んではいないが、世間的には死んでいるもの達の場所。
蓮台野というありがたい名前は、せめてもの罪滅ぼしなんだろう。
「でんでらりゅう。墓場の龍か。なんかぴんと来ないな」
「そう?長崎らしいと思うけど」
「美穂ちゃんは長崎生まれじゃないからそう思うんだろうが、じげもんの俺はぴんと来ない。
墓場の龍なんて聞いたこともない」
そうだ。長崎人だからこそ、墓場の龍説は違うような気がするのだ。
第1章 港の見えるスタジオ-1
第2章 女子カメラ-2
第3章 二眼レフ-3
第4章 タイムカメラ-4
第5章 ワームホール-5
第6章 アイドル殺人事件-6
第7章 推理-7
第8章 転びバテレン-8
第9章 デンデラリュウの謎-9
第10章 ペーロン船-10
第11章 ラシャメン-完結