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ラシャメン-完結

すがすがしい日だった。

でんでらりゅうの謎を解いたのだ。

俺は早めにスタジオにやってきて、インスタントコーヒーを飲みながら美穂ちゃんを待った。

「あれ、珍しく先生早いですね」

ドアを開けての第一声だ。

「うん。早く美穂ちゃんに知らせようと思ってさ」

「へー何のことですか」

自分の荷物を所定のロッカーに入れ、自分の机に座りながら答える。

「ほら、でんでらりゅうの謎だよ。ついに解明したんだ」

「ほんとですか」

美穂ちゃんは疑わしそうな目で俺を見る。

俺はでんでらりゅうがペーロン船だった事を説明した。

しかし、タイムカメラの写真は言うわけにはいかないので、そこは省いている。

「うーん。ちょっと強引じゃないですか。先生が言う稲佐外人墓地にペーロン船がおいてあったって言う記録はあるんですか」

記録じゃなくて俺は撮影したんだと言おうと思ったが、そんな写真を見せて、おお騒ぎになれば、俺が困る。

「いやー、それはないけど、状況証拠だけでも納得できるだろう」

敵は手強い。疑わしそうな眼差しは消えなかった。

「わかりました。そういうことにしておきましょ」

「何だよ、信じないの」

俺はちょっとむっとした。

「先生、私もこの件について発見しましたよ」やっぱり、調べていたんだなと思った。

「リュウバって言葉ですけど・・」

「だから、でんでらりゅうばはさっき言ったとおりだよ」

少し声がとがっている。

「まー聞いて下さい。リュウバがでんでらりゅうと思ったんですが、女性が死ぬ前にいくら気にかけてるからと言って、長崎の唄の一部を死ぬ直前に言うのかなって」

思わぬ反論に、俺はすこしたじろぐ。確かに言われてみればその通りだ。

「私だったら、お母さんとか、恋人の名前を呼ぶと思うんです。

だからリュウバって、なんかの名前寺やないかなと思ったんです」

なるほど、その通りだ。俺は真剣に美穂ちゃんの話を聞く事にした。

マンモス

(リューバ(Lyuba、露: Люба)は、2007年に発見されたメスのケナガマンモス(Mammuthus primigenius)である。)

「そしたら、リュウバっていう名前が検索であったんです」

「それはなんなの」

「マンモスなんです。ロシアで発見されたマンモスがリュウバって言うんです」

うーん、マンモスの名前と思いも寄らなかった。

美穂ちゃんもリュウバをいろいろ調べたらしい。

リューバは、二〇〇七年にシベリアの永久凍土の中から良好な状態で発見された生後一ヶ月のメスのケナガマンモスである事。

リューバはロシア語で愛と言う意味なので、マンモスは愛子ちゃんという意味だという事。
「先生、そこからが推理なんですけど稲生真理亜はロシア人の血が入っている混血なんです。

もうだいぶ薄いと思うんですが、明らかに外人系の顔ですから。

と言う事はあのロシア人墓地に、真理亜のロシア人のおじいちゃんかひいおじいちゃんがいたんじゃないかと思ってるんです。

それで、真理亜のおばあちゃんかひいおばあちゃんがリューバって言う名前だったんじゃないかと思ったんです。どうです、この推理は」

俺はうなってしまった。そうだ。稲佐地区はロシア村と呼ばれていた時代があったのだ。

ロシア使節プチャーチンが日本で初めて上陸を許されたのが稲佐なのだ。極東に凍らない港を求めるロシア艦隊の休憩所となり、50年ほど稲佐の町はロシア人たちがあふれるようになったのだ。

渡辺淳一氏の著書「長崎ロシア遊女館」にその当時の様子が物語として描かれている。

確か稲佐国際墓地の近くにロシア人向けの遊郭が存在している。日本で初めて梅毒の検査が行われたのも、稲佐なのだ。その話を美穂ちゃんにした。

「やっぱりね。真理亜の祖先は、稲佐の遊郭の遊女だったと思うんです。そしてロシア人と結婚したんですよ」

長崎にはオペラ蝶々夫人というのがある。

いわゆる現地妻の話だ。現地妻という言い方よりもラシャメンと言った方がいいだろう。

洋妾と書き、現地妻の蔑称である。

ラシャメン

ロシア人相手の稲佐の遊女は、同じ花街の丸山から差別されていた。

しかし、稲佐地区は大いに賑わい、黄金橋という名前の橋があるくらいロシア海軍の金銭的な恩恵を受けたと言われている。

美穂ちゃんの推理は続く。

「ロシア人の夫から、リューバと呼ばれていた真理亜の祖先のおばーちゃんはきっと愛し合っていたんだと思うんです」

そうかもしれないけど、これは明らかに想像だ。美穂ちゃんの夢見る眼差しは、願望に近いものがある。

「稲佐の遊郭はロシア人相手でなり手がいなかったらしい。真理亜の祖先のおばあさんは貧しい農村の出身か、地方の人か、理由のある人だと思うんだ」

「そうですね。悲しい身の上かもしれないですね。もしかしたら美人だと思うので東北か北海道の人かもしれないですよ」

美穂ちゃんの全くの想像の域を出ていないけど、事実長崎は学問の最先端を行っているので、全国各地から遊学の士が集まってきている。

平松勘治著「長崎遊学者辞典」によれば、遊学者は、北海道1人、東北地方121人、関東地方107人、中部地方147人、近畿地方98人、中国地方204人、四国112人、九州262人となっている。

「そうだ、もしかしたらキリシタンだったかもしれないですね。ほら真理亜が大事に持っていたカメオの中に描いていた絵。たしかマリア観音でしたよね。もしかしたらカクレキリシタンだったかも」

長崎のキリシタン弾圧はすさまじく何百年も隠れて信仰を続けていた。特につらい身の上の庶民はこの宗教に身も心も捧げていた。

当然遊女の中にもいただろう。

しかし、キリスト教には「汝姦淫するなかれ」という戒律がある。

生活のために遊女に身を落としてもカクレキリシタンであり続ける事は、矛盾でもあり、正当な心でもある。

しかし、回りから見ればキリシタンの戒律を破った「転び」であり、当の本人もそれは強く思っていたのだと思う。

明治六年にキリシタン禁制は廃止されたが、隠れたまま信仰を持ち続けたグループもあり、その理由は様々と思われるが、中には遊女たちのような心根を持つものもいたかもしれない。

「きっとマリアの祖先の女性は、稲佐遊郭でロシアの旦那様と楽しくお酒を飲んだのかもしれないでしょ。

きっとその時にでんでらりゅうも歌ったのよ。

ほら、言葉があんまり通じないから片言で話したはずよ。

そうしたでんでらりゅうのの唄の中に、ロシア語のでんでらりゅうばのリュウバが聞き取れたの。

愛らしいと言う意味なので、ロシアの旦那はマリアの祖先をリュウバと呼んだのよ。どうですか。いい話でしょう」

「全部想像じゃないか」

「そうですけど、絶対そうですよ。そうすると話が全部通るんです」

美穂ちゃんは相変わらず強引に決めている。

しかし、事実のような気がする。

話はそこで、何となく打ち切りになってしまった。確実な証拠がない以上、何を考えても想像になってしまうし、ペーロンの写真も公表できないとなれば、今まで通りわからないとしといた方が無難だからだ。

後日泉川がきて、話を聞きに来たが、俺は通り一遍の事を言ってお茶を濁し、美穂ちゃんは、自説を自慢げに話していた。

泉川は、困ったような顔をして聞いていたが、そのままの顔でお礼を言って帰って行った。

あれから何ヶ月が過ぎ、夏のお盆が近づいてきたので、お盆の用意のため墓掃除に入った。

実は俺の実家の墓も、稲佐の外人墓地にある。春の事件のあった場所よりだいぶ上の方だが、日本人墓地もちゃんとあるのだ。

通り道事件現場のロシア人墓地の前を通る。

現場には花束がたくさん捧げてあった。ファンからだろう。悲劇の美人タレントは新しい外人墓地の伝説になるだろう。

普通はロシア人墓地には鍵がかかっているのだが、花束が多くて、未だに参拝客も来るので鍵を開けて解放しているようだ。

大きな楠が生い茂ったロシア人墓地は、その花束のおかげで奇妙な活気が漂っている。

墓はロシア正教だろうか。十字架に斜めの線の入った石碑が並んでいる。

俺は、殺人現場のあった墓石を調べてみた。

文字はもとより読めないが、ある文字を探し立ていた。

グルリと墓の周りを回り、しゃがんで探してみた。

「あっ、あった。これか。美穂ちゃんは正しかったな」

墓の隅っこに、ひらがなで「り」と書かれている文字が見えたのだ。

その後にも文字は続いているのだが、削れて読めなくなってしまっている。

たぶん「りゅうば」と書かれているはずだ。

リュウバと呼ばれた女性は、長崎でなくなった自分の夫のために墓を建てたのだろう。似たような話はこの国際墓地にもある。
自分の実家の墓掃除を終え、稲佐国際墓地の上の方の階段から下を見下ろせば、この辺り一帯がよく見える。

この墓地には、中国、オランダ、ポルトガル、日本と宗教を超えた人々が仲良く眠っている。

長崎と一口に言うけれど、この稲佐地区には、華やかな長崎の裏で流れているもう一つの裏の長崎歴史が流れているのだ。

蝉が激しく鳴いている。

夏の長崎は暑い。ブナの木が国際墓地の通り道の両脇に生い茂っている。

中国系の墓には色鮮やかな造花が捧げられて朽ちない色鮮やかさが悲しい。

そんな事にはお構いなしに強い日差しが国際墓地の石碑を熱く熱している。

どこからか、気の早い爆竹の音がする。

そうだ。もう少し経つと精霊流しが始まる。

また今年も西方浄土に帰っていく人がたくさんいるのだろう。

稲生真理亜も不幸な事故だったが、一緒に船に乗って旅立つのだろう。

精霊流し

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