金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(3)

金比羅山の話を友人にすると、その反応は一緒である。

「へー」 その後何にも反応がない。 人を変人扱いしている証拠である。僕は別に変な宗教にもかかわってもいないし、宇宙人だって科学的根拠が無い場合は信用していない。僕は作り話をしているわけではない。 金比羅神社の立て札にちゃんと書いてあるのだ。

 

立て札

 

金比羅神社

金比羅神社

天孫降臨」は突拍子も無い話だが、なんかその訳があるはずだ。

金比羅山は、長崎の山の中で、とても愛されてきた。その金比羅山の話なのだ。長崎人の誰かが、その話をまともに信用してもいいのじゃないか。という訳で、調査を続けることにする。

 

少しだけ可能性らしきものが見えてきたが、まだまだ一般人を納得させることはできない。

そこで、もう一度最初から調べることにした。  

立て札である。

「金比羅山という名称は、宝永2年(1705)に吉祥院長慶が讃岐国から金比羅大権現の分霊をこの山に祀ったためである」

宝永2年、この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣である。この宝永2年(1705)にはすごい事が起こっている。

1705年には京都を中心にお蔭参りが大流行する。

10月6日 徳川吉宗が紀州藩の第5代藩主に。

12月15日 霧島連山の高千穂峰御鉢が噴火。

10月4日 遠州灘・紀州灘で推定マグニチュード8.4の大地震(宝永の大地震)。

11月18日 浅間山が噴火。28日にも噴火。

11月23日 富士山が史上最後の大噴火(宝永大噴火)を起こして宝永山が出現。江戸でも数センチの降灰を記録。

1709年1月4日 阿蘇山が噴火。

 

富士山が爆発して、その4年後、阿蘇山も噴火している。

今話題の南海トラフ巨大地震が実際に起きた年である。

宝永4年(1707年)に南海トラフ巨大地震の一つで歴史上日本最大級と推定されている宝永地震(M8.4~8.7)が発生、その49日後には今日までにおける史上最後の富士山の噴火となった宝永大噴火が起きている。

 

立て札の年号が本当に正しいとしたら金比羅山になった後、南海トラフ巨大地震が起こったというわけだが、実際には大地震が起こったので、金比羅山にしたというのが正しいのだと思う。

しかし、立て札には地震前にしたと書かれている。  これには何か理由があるのだろうか。

天孫降臨の有力候補、霧島連山の高千穂峰御鉢も噴火している。

この事と何かかかわりがあるのかもしれない。

 

次は吉祥院長慶讃岐国の事である。

別のホームページに修験者吉祥院長慶により讃州象頭山の金比羅大権現を勧請と書いてあった。

立て札より少し詳しい。

調べてみると吉祥院というのは、かなりたくさんある。 たとえば、 北海道札幌市にある真言宗智山派の寺院。 山形県山形市にある天台宗の寺院。 東京都杉並区にある天台宗の寺院。

真言宗と天台宗の二つの宗派が入っている。

ブリタニカ国際大百科事典では「京都市南区の一地区」とある。

吉祥とは吉祥天の事だ。

吉祥天(きっしょうてん、Skt:Srii-mahadeii、音写:摩訶室利など)は、仏教の守護神である天部の1つ。もとヒンドゥー教の女神であるラクシュミーが仏教に取り入れられたもの。

 

修験者とは山伏の事である。

修験道は、奈良時代に役小角(役行者)が創始したとされる。役小角は実在の人物だが、孔雀明王の呪法を学んだといわれ、不思議な伝説の多い人物だ。

吉祥院長慶を調べるが、ピンポイントでは探せなかった。    

吉祥院長慶は正体不明だが修験者だということがわかった。  

修験者

修験者

讃州(さんしゅう)象頭山の金比羅大権現を勧請したとある。

この讃州象頭山はあの有名な金比羅山の歌の中にある。

こんぴら船々追い手に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ

まわれば四国は讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり)象頭山(ぞずさん)金毘羅大権現

一度まわれば・・・・・・

金毘羅大権現

金毘羅大権現

調子のいい歌で限りなく続くあれである。

松尾寺 

matsuo-ji_kotohira_01

金毘羅大権現は明治政府によって禁じられ、琴平神社御祭神は大物主神とされたとある。

明治維新のころ”神国日本は古来の神をこそ祀るべきで、渡来した神仏を祀る必要は無く、よって仏像・寺院は破壊するべきだ”という廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の運動が起こり、仏教は迫害された。

「こんぴら船々・・」という歌が、こんな歴史を持っているとは驚いた。  

 

この廃仏毀釈は江戸時代から行われていて、あの徳川光圀の影響により神仏分離、神道尊重、仏教軽視の風潮がより強くなったとある。  

九州は廃仏毀釈が特に強い地域だったという。

皆さんも首の無いお地蔵さんを見た事があると思う。あれは、廃仏毀釈の思想の仕業である。

 

話が横道にそれたが、長崎の金比羅山は、その廃仏毀釈の象頭山(ぞずさん)金毘羅大権現から持ってきたと書いてあるのだ。

権現というのは日本の神々を仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。

ここは大事かもしれない。

しかし、金比羅山という名称は、宝永2年(1705)になってからだ。

天孫降臨という時代とはかけ離れすぎている。この事は、遠いつながりはあるかもしれないが、天孫降臨とは直接関係なさそうだ。

 

行き詰まってしました。

うーん 困った。

こんな時、原点に戻る事が大切である。

という事で、再び金比羅山に登った。

そしたらなんと、二つのことに出会ったのだ。

IMG_6195   IMG_6215

金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(4)

コメントを残す