ワニに関しての覚書ノート(1) 因幡の白うさぎのワニはサメか?

長崎の神社巡りをしていると、金毘羅神社が多いことに気づく。

長崎長与 金毘羅神社

長崎は島も多いし、全てが海に接しているので、航海の神様として信仰がある金毘羅さんが多いのは納得できる。

そもそも金刀比羅とはインドのガンジス川にすむ鰐を神格化した仏教の守護神(クンビーラ)の事である。

クンビーラ

気になったのは、日本にはワニは生息していない。それなのにワニの化身が神様になっている事だった。

しかし、よくよく考えてみれば、もともと神様は実在しないのだから、そんな事を気にする事もないなと思ったりもした。

ただ、金毘羅さんのことだけではなく、もう一つワニの話が出てくる。

いなばのしろうさぎ 絵/小林 裕也 すずき えりな ポプラ社

それが因幡の白うさぎの民話である。

この話は古事記に出てくる。古事記の原文では「和邇」とあるのだがウィキペディアではワニザメという訳文になっている。

白うさぎの話は「大国主の国づくり」の前に、なぜ他の悪行三昧の兄弟神をさしおいて大国主が国をもったかを説明する一連の話の一部である。

話を読めば、いかに大国主が優しいかを書いているだけなのだが、問題はワニが登場することである。

ワニは漢字で和邇と書いている。

昔はサメのことをワニって言ってんただなと単純に思っていたら、そうではない事を知る。

例えば、平安時代の辞書には、和邇は、鰐のことで、鼈(スッポン)に似て四足が有り、クチバシの長さが三尺、甚だ歯が鋭く、大鹿が川を渡るとき之を中断すると記してある。

あれれ。

これって、あのクロコダイルじゃん。

「因幡の白うさぎ」で海の上に一列に並んだ和邇をぴょんぴょん渡っていくシーンだと、サメよりワニの方が絵になっている。

ビジョアルから行っても、やっぱり和邇はワニなのだ。

因幡の白兎 https://jozirasutonlna.blogspot.com/2021/05/413494.html

このワニは日本の神話に時々登場している。

日本書紀では事代主の通婚とスクナビコナ神話に「八尋熊鰐(やひろわに)」、その他「大鰐(わに)」、「鰐魚(わに)」、「一尋鰐(ひとひろわに)」、「八尋鰐」などの記述がある。

出雲国風土記では娘が「和爾」と遭遇して食べられ、親が海の神に祈って復讐を果たした説話がある。

さらに仁多郡で「和爾」が玉日女命を慕って川を遡上したことにちなんで恋山と名付けられた説話がある。

肥前国風土記では海の神である「鰐魚」が多くの小魚を従えて川を遡上し世田姫のもとへ通う説話がある。

結構あるじゃんと思う。

ワニかサメか?

日本にはワニはいない。それなのに神話に登場しているのは何故か?。

単なる思いつきで調べ始めたのだが、この因幡の白うさぎのワニ問題は結構大きな問題になっていた。

そして、「ワニかサメか?問題」は多くの識者によって討論されている。

ワニ=サメ説

歴史学者の喜田貞吉
古事記神代巻のワニとはフカ(サメ)を指すとする説に賛成し、国定教科書編時に、因幡の白兎のワニをワニザメと表記した。

内田律雄(島根県埋蔵文化財調査センター)
「和邇」は特に神格化されたシュモクザメを指し、他種の「さめ」と区別されていた。

新井白石
古事記では「和爾」日本書紀では「鰐」という表記の違いに意図がある

釈瓢斎 (しゃく ひょうさい「天声人語」のコラムニスト)
漢文において爬虫類のクロコダイルを指す鰐と龍も、日本古代史においてこれらの字が指す動物は「和爾」と同様魚類の鮫である。

弥生時代の銅剣のうちにはサメの線刻画を持つものがあり、サメに関する信仰の存在は考古学的にも認められている。

南方熊楠
和邇とは古今を通じて鮫の事であり、爬虫類の鰐のことを同音のワニと呼んだのはその頃の学者が博物学に暗かった故の誤り。

結構、細かいところまで指摘しており、その内容は納得できる。

ワニ=ワニ説

しかしワニ説も負けてはいない。

平安時代の辞書『和名類聚抄(和名抄)』には、麻果切韻に和邇は、鰐のことで、鼈(スッポン)に似て四足が有り、クチバシの長さが三尺、甚だ歯が鋭く、大鹿が川を渡るとき之を中断すると記してある

和漢三才図会の鰐の項では、和名抄には蜥蜴に似ると記されているとある。

本居宣長は『古事記伝』で『稲葉の白兎』について記した際、和名抄を引用し、ワニとした。

『倭文麻環』
日本人の認識において漢籍や絵画の中のワニと漂着した実物のワニは一致していたと考えられる。

高木敏雄
『比較神話学』日本説話に鰐の見ゆるは其南方起原を証明する者には非ざるや。(略)日本古代の説話は鰐に就いて語ること甚だ多し。之れ恐らく、偶然には非ざる可し。

論理的な考証を積み重ね、発展したワニ説に対し、サメ説での新たな根拠の提示はなく、1910年代から1920年代、発展するワニ説に対し、サメ説からは離反が続いた。

「当時学会の論客、白鳥・喜田両博士の強い論調に押されて古事記の」註で和邇を鮫としたと批判された4人のうち、少なくとも3人は、サメ説の主張をやめてしまった。ウィキペディア

堀岡文吉
『日本及汎太平洋民族の研究』和邇がサメでないことは『出雲風土記』の産物にワニとサメが別々に書いてあることを見てもわかる。

1924年(大正13年)3月5日大阪朝日紙上に大鰐が網にかかったと報じられているが、日本に鰐がいたから『兎と鰐』の話ができたのではなく、『兎と鰐』の話が漂着したとすべきであろう。

丸山林平
1936年『国語教材説話文学の新研究』において『和邇伝説』と題し、サメ説の根拠を一つずつ検証して否定し、ワニ説の根拠を記した要約を因幡の白兎を中心として示す。

丸山
和邇は南方のトーテムとしての鰐の反映で、姓の和邇の元であろう。ワニはワニであり、断じてサメやワニザメなどではない。

松本信廣
『和邇其他爬蟲類名義考』において、日本民族が「気宇壮大な海国民であった」のに、その後「事象を国内の事例によって説明せんとする迂愚に陥った」「島国根性の所産である」としてワニ説を論証している。

折口信夫
何にせよ、古代人は「わに」という語及びそれ表す「わに」という動物を知っていたに違いない。ところで、「わに」という語を使っていた古代人の考えていた「わに」なる物は、現に我々の考えている「わに」と同じだったとしたら、我々の祖先は南方から来たに違いない。

柳田國男
『海上の道』において、一尋鰐等について、当然のごとく、鰐という字を用い、もはや、鮫や鱶については可能性さえ一顧だにしていない。

司馬遼太郎
『古事記』の山幸彦と海幸彦の章の豊玉姫の出産場面で豊玉姫が「八尋和邇(やひろわに)に化りて、匍匐(はらば)ひ委蛇(もこよ)ひき」とあり、「八尋鰐」が「匍匐」すなわち、はらばうのだから「和邇」はワニだとしている。

赤城毅彦
『古事記』『日本書紀』の解明 作成の動機と作成の方法』で中国南部のヨウスコウアリゲーターというワニだとする説を記し、古墳時代、倭の五王などは中国の南朝に使いを出した、これが『古事記』の「和邇」だとするには、稲作文化またはその担い手の人々が日本に来た時に中国南部のワニの話を持ってきて、書き手がそのワニを想起しながら古事記を書いたと考えられる、とした。

これ以外にウミヘビ説、シャチ説、アシカ説、獰猛な水中動物一括説もある。

かなり抜粋したが、詳しくはウィキペディアでどうぞ。

常識派VS探求派

この論争は面白い。

日本にワニはいないのだから、サメだろうという常識派(?)の意見と、ワニと書いているからワニで、その神話は東南アジアから来ているという探求派(?)がいることがわかる。

この論争は邪馬台国の話に似ている。

近畿派は、当時日本には大和朝廷があったのだから、魏志倭人伝の方角を指す南という字は間違いで、本当は東だったと語っている。

まさにサメ論争の常識派(?)の意見とも言える。

絶対おかしいのだが、世間では常識派(?)の意見がまかり通っている。

ワニだって、教科書や絵本にはワニザメと書かれ、サメの絵まで載っているのだ。

まあ、古代の事だから真実はわからないのだが、適当に文字や意味を変えてしまうのは困るのだ。

さてワニの話だが、金毘羅さんのワニの話も因幡ワニ説と密着しているような気がしてきたのだ。

J.Dautremer フランス https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiGazouCard/U426_nichibunken_0103_0001_0000.html

 

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