縄文人が蝦夷になり、武士になった
蝦夷(えぞ)は、主に北海道とその周辺地域に住んでいた民族や集団を指す言葉ですが、その文化や社会は縄文時代からの影響を色濃く残していました。
縄文人は狩猟・漁労や農業に従事し、独自の文化を持っていたのですが、やがて大和朝廷(現在の奈良や京都を中心とした政権)の影響が強まると、蝦夷と呼ばれる人々との対立が起こりました。
古代日本において、ヤマト政権に服属していなかった東北地方の人々を「蝦夷」と呼びました。彼らは独自の文化や生活様式を持ち、度々朝廷と対立していました。有名な例では、阿弖流為(アテルイ)などがいます。
武士の起源と東北
武士は、平安時代中期ごろから地方の豪族や武装農民を中心に形成されていきました。東北地方では、蝦夷の末裔とされる豪族がその地に根を下ろし、やがて「武士」として台頭したケースもあります。
たとえば、
安倍氏や清原氏、藤原秀衡など奥州藤原氏は、蝦夷の血を引くとされることもあります。
源頼朝と敵対した奥州の支配者・藤原泰衡もその流れにあると見なされることがあります。
もちろん、すべての蝦夷が武士になったわけではなく、あくまで一部が同化・編入されたというのが一般的な見解です。
ですが、蝦夷系の豪族が地域の治安や統治に関与し、武装していたことは事実であり、武士階級の形成に一定の影響を与えた可能性は高いとされています。