なぜアイヌ語と日本語は全く違うのか クロマニヨン縄文説

アイヌという存在を語る時、日本の先住民という一般的な知識以外に何も思い浮かばない。

そして、北海道の地名がアイヌ由来であるとか、木彫りのクマの置物が思いつく程度である。

アイヌ人には縄文の遺伝子が多く存在していて、古代より日本列島に住んでいた縄文人たちの子孫だといわれている。

アイヌは、北海道を主な居住圏とする先住民であり、独自の文化を有する民族である。ウィキペディア

アイヌの人々


アイヌ関係の本を読んでも、言葉の相違性や文化の近さを述べている専門的な物が多く、私のようなボンクラには、なかなか頭に入ってこなかった。

まずアイヌ人がどんな人達なのかという、ざっくりとした仮説が少ないからである。

そして、アイヌ語と日本語がなぜ似ていないのかという時点で、思考停止に陥ってしまうのだ。

日本列島住民で、日本語でない人たちの存在をどう考えればいいのだろうか。

そんな私の混沌の中で一冊の本を読む。

アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書)2016/2/8
瀬川 拓郎

アイヌと縄文

この本では、アイヌ語と日本語のつながりを模索している。その点では今までにない本だと思った。

この本の見解を参考にして推理を進めたい。


縄文語の存在

アイヌ語と日本語の間に全く共通点が見いだせない。

これだけ近くに住んでいて、さらに日本人原点の縄文の血脈と言われているのにだ。

縄文人達は複数の人種が混じり合っているというが、古代遺跡が発掘され、そこから出てきたものには類似性が認められている。

地域別の差はあるももの九州から東北まで土器などの関連性があるという事実。

それは、北から南まである程度意思の疎通が出来、南北コミュニケーションが可能な人々が暮らしていたことは事実である。

そして、その言葉は縄文語と言ってもいいだろう。

その縄文語はアイヌ語に引き継がれていったと考えたほうが自然だ。

しかしアイヌ語は日本語と根本的に違うと言う。

もちろん借用語などの単語はあるが、構造的に違うのである。


全国に残っているアイヌ語起源の地名

これもまた謎である。

日本語とアイヌ語が全く似ていないのに、地名にアイヌ語が残っているとすれば、やはり縄文人(アイヌ人の祖先)と日本人(現在の日本語を話す人々)はつながりがあったのだ。

北海道にはアイヌ語由来の日本語地名が多い。ニセコとか札幌などである。

本州・九州はどうかというと、たくさんあるという説を唱える人も多い。これははっきり言って判別がつきにくいので省く。ただ、日本語で考えると意味が全くわからない地名があるのも確かである。

以下はアイヌ語と思われる地名だ。

福岡県 米冠(シリカンベまたはシリカンゲ)
アイヌ語で「海際の山」、または「水面に浮かぶ丘」の意である。

下代久事(ケタイクジ)
アイヌ語の意味は、「川向こうの山の頂に密集した森のあるところ」

背振山(セブリヤマ)
「高く、広い山」の意。 福岡県と佐賀県の県境の山脈 アイヌ語のセブリ(高い、広い)

入れ墨から見た同祖論
http://www.y-asakawa.com/nihon-tansaku%202007-2008/ainu2.htm

入れ墨

言葉以外にも風俗も縄文のつながりを感じる部分が多い。

一つは入れ墨である。

NHKの大河ドラマ西郷ドンでもあったが、女性が手に入れ墨を入れる習慣があった。

琉球・沖縄の入れ墨

またアイヌの女性が口裂け女のような入れ墨をしているのはよく見る写真である。

アイヌ民族の入れ墨

本州を探せば、歯を真っ黒に染めたお歯黒などはその流れかもしれないし、耳なし芳一という怪談話では、悪霊を避けるため体中に経文を書いたというのも同じかもしれない。

入れ墨の習慣は、海洋民族の証とされているが、邪馬台国も入れ墨を入れていたと書いているので、古代より引き継がれていった風習なのだろう。

これだけ状況証拠があるのに、なぜ言葉が違うのか。またここに話が戻ってしまう。

この理屈に合わない状況を打破できる説が一つだけある。

それは、縄文人は二度やって来た説である。


縄文人クロマニヨン説

西洋人の顔をした縄文人。これはよく言われることである。学術的にも謎となっている部分である。

日本はアジアの果である。この日本に西洋人の血を持った人々がいるわけがないと思いこんでいる。学術的にもアイヌ人はモンゴロイドだとはっきり決めつけられてはいない。

となれば、日本にたどり着いて縄文人になった人々は西洋人ということになる。


山口敏(びん)氏という形質人類学者の人が、縄文人とクロマニヨン人との類似性を指摘している。

鈴木尚(ひさし)氏(人類学者 東京大学教授 明治45年生)も縄文人がクロマニヨン人の特徴をそのまま受け継いでいると言っている。


クロマニョン人とは南フランスで発見された人類化石により命名された人々で、コーカソイド(白人)の直接の祖先である可能性が高いといわれている。

という事であれば、フランスへ行く前のクロマニョン人、つまり西洋人の特質を持っているがまだどちらでもない段階の人々が、アフリカを出てアジアの日本に向かったという事が考えられる。

クロマニョン人は精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった証拠もあるなど、進んだ文化を持っていた。ウィキペディア

特別展「世界遺産 ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」

おまけにクロマニヨン人は犬を唯一の家畜としていたこともわかっている。

縄文人も芸術性豊か(縄文土器)で犬を大切にしていた。(中国、朝鮮では犬を食う)

この突飛とも言える説は、真実をついた説ではないだろうか。

縄文人の遺伝子は、アジア人と比べるとかなり特殊であると最近の学説では証明されている。

「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった! 読売オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html

形質人類学者 百々幸雄氏もアイヌ人(縄文人)は「人種の孤島」だと言っている。

アイヌと縄文人は「出アフリカ」をはたした現世人類が、ヨーロッパ人とアジア人に分化する以前の状態を保っているのではないかと述べています。(百々2007年)

アイヌと縄文人の骨学的研究


縄文人はモンゴロイドだと分類されているが、一般的なモンゴロイドの特徴とかけ離れている縄文人を、古いタイプのモンゴロイドだと苦しい分類を学者の人達はしている。

つまり古代日本には、クロマニヨン起源の人々が存在していたという事である。

人類起源のアフリカからアジアを目指した人々の第一波が旧モンゴロイド(クロマニヨン人)で、日本に住み着いて縄文人になったのだ。

アイヌや沖縄に彫りの深い人達がいるのはそんな理由だからだ。


しかし、これだけでは納得できない部分も多くある。

まず日本語とアイヌ語が全く違うという説明が出来ないからだ。

ここでもう一つ大きな事件が日本に起こっている。

その事である程度説明がつくようになる。

それは火山の噴火である。

鬼界カルデラの破局的噴火

九州鹿児島にある巨大なカルデラの一つである鬼界カルデラは縄文時代中期に破局的噴火を起こした。

これにより鬼界カルデラ火山灰は、数メートルも降り積もって九州や四国の縄文人を死滅させたという。

九州の旧石器人や縄文人を死滅させた巨大カルデラ噴火
http://www.kigyoujitsumu.jp/business/topics/8529/

破局噴火

これにより、九州、四国は縄文中期に一度全滅をする。

関東だと、富士山が縄文時代後期に4回の爆発的噴火を起こしている。これもまた大きな被害を関東の縄文人に与えただろう。

日本は太平洋の「火の輪」の上に乗っかっている地域である。なんと世界の活火山の13パーセントが日本に存在している。

火山の爆発の被害は、火砕流、火山灰、有毒ガスを伴い、その第2次災害である津波や土砂崩れなどの被害も大きい。

科学が進んだ現代でも自然災害のダメージは大きいのに、狩猟採集を生活の糧にしている縄文人たちへの被害は想像を絶する内容だったはずである。

この破局的噴火により日本列島の縄文人はいなくなってしまった。

西洋人の資質を持つ縄文人達は九州、本州の西側地域からいなくなってしまったのだ。

再生していく縄文

これはドラマでなく事実である。

しかしこの天災のほとぼりが冷めた頃、再度縄文人と呼ばれる人たちが東西からやってくる。

これらの人々はアジア系である。奇跡的に生き残った旧縄文人たちと混じり合うように暮らし始めたのだ。

火山噴火後の縄文人を新縄文人と呼ぶことにする。

旧縄文人の生き残りは被害の少ない東北、北海道でアイヌへ続いていった。

新縄文人達はコミュケーションをとるために、新しい言葉を作り上げていく。これが日本語の元となったのだ。


日本語は「孤立した言語」と呼ばれている。

それは、元になる言葉がわからないからである。いろんな説も出ているが決定打がないのだ。

それは、日本語の中心となった部族なりグループがいなかったからである。

誰もいない火山灰しかない不毛の地日本に、少しづつだが色んな人達が住み始めたのだ。

縄文は狩猟採集の人々だ。農耕民族のように力を合わせて田んぼを耕す事はない。テリトリーを守り、お互いを牽制し合いながら生き続けてきたのだろう。

ただ偶然の接触でも他部族と争わないようにコミュニケーションは取らなければならない。

その為に考え出された言語が日本語なのである。

オノマトペ

日本語はオノマトペが多い言葉だといわれている。オノマトペとは、状態や感情、あるいは動物の鳴き声や物音を、模倣したもので「ゴロゴロ」「ビクビク」といった言葉だ。

このオノマトペは状態等を写しとる表現方法だが、これはジェスチャーに通じる部分がある。

現代でもそうなのだが言葉が通じない人たちの場合ジェスチャーを行う。

例えば、何かを食べる仕草の時、口を開け手で食べる仕草をする。

一度ではわからないので何度でもやる。その時、言葉や音で補充するだろう。

現代だったら、食べる真似をして「パクパク」とか「ムシャムシャ」などと言うと思う。

また、動物が鳴く時、動詞は一つしかない。鳥でも犬でもカエルでもすべて「鳴く」である。

動物の違いを示す時、オノマトペを使う。鳥が「カーカー」と鳴く。カエルが「ケロケロ」と鳴くと言った具合だ。

これもジェスチャーの一種である。こんなふうにオノマトペを多用しながら新縄文人は言葉を作ったのだろう。

縄文語

旧縄文人たちは、ある意味単一の種族だった。日本中に広がった縄文人は、方言の違いはあるとはいえ、北も南も意思疎通可能な共通する言語を持っていたはずである。

それが縄文中期に火山の大爆発のため分断されてしまったのだ。


九州に隼人族がいる。隼人族は日本人と言葉が通じなかったといわれている。

隼人の盾の複製品 Samurai World

もしかすると、旧縄文人が使っていた言葉をそのまま使っていた、生き残った人達だったのだろう。

また生き残っていた旧縄文人の使う言葉は、そのまま地名として残っていったと思われる。

だからこそ日本中にアイヌ語起源の地名が存在するのだ。

縄文人多重構造説

表題に戻るが、アイヌ語は旧縄文人が使っていた縄文語で、日本語は新縄文人が使っていた言葉だと推測できた。

なぜ混じり合わなかったかという問いもあるのだが、逆になぜ混じり合う必要があるのかと問いたい。

テリトリーを守り、お互い干渉しない事が狩猟民族の証である。

それを何千年も続けてきたのだ。そして平和だったのだ。

単純な意思疎通はオノマトペで十分通じたはずである。

日本人の謙虚さはお互いの領域に土足で踏み込まない事である。それはあの長い縄文時代に培った狩猟民族の知恵でもある。

これは新旧問わず、縄文人たちが守ってきた掟なのだろう。日本とは多重な時代を持つ、やはり特別の国なのだ。


日本は狩猟採集の時代から、ついに農耕の時代(縄文晩期から弥生)を迎えてしまう。

食料の大量生産と計画的な行動は、富の蓄積と階級社会を生み出していく。

倭国大乱と呼ばれる時代をへて、日本にヤマトという一つの大きな勢力が完成する。

その際様々な争いが起こっている。

それらは旧縄文人たちの末裔の一族と、新縄文人たちとの争いだったのかもしれない。

言葉が違う部族は、敵外視されてしまう。

土蜘蛛、隼人、熊襲、蝦夷(えみし)。または天狗、鬼の伝説、妖怪の類は旧縄文人の末裔だったかもしれない。

天狗

沖縄等の南洋地方も旧縄文人がやはり住んでいたと思われる。琉球語もまた、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがあるため、日本語とは別の言語と見なす説が有る。

ただ島であるために独特の変化をしていったのだろう。

日本は縄文人と弥生人の二重構造の国だったという説がある。

しかしその説では縄文の血脈が強く残るDNAを持つアイヌ、琉球の言葉と、日本語が全く違うという事実を解決できない。

だが縄文人が破局的火山の爆発で旧と新が存在し、縄文人自体が多重構造だったとすれば言葉の違いなどを解決できるのだ。

この説は何の証拠のない突飛なトンデモ説といわれそうである。

しかし、何度でも書くが、どんなに突飛でも残った推理こそ事実に一番近いのだと思う。

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