隼人の謎-つながる二つの渦(2)
隼人がヤマトと強い結びつきがあるのはさまざまな文献にある。
隼人は仁徳紀には、天皇や王子の近習であったと早くから記されているいる事や
雄略天皇(西暦479年没)が亡くなり、墓の前で泣いたなどの記事が残されている。
ウィキペディアには、
帰化したのは7世紀末頃とされるが、6世紀末や7世紀初め説もある。
と書かれているが、
帰化とは本人の希望により他国の国籍を取得しその国の国民となることをいう。
明らかに外国人扱いである。
その後もしばしば朝廷に対し反乱を起こし、大隅隼人などは大隅国設置(713年)後にも反乱を起こしたが、隼人の反乱と呼ばれる大規模な反乱が征隼人将軍大伴旅人によって征討(721年)された後には完全に服従した。
とある。
さらに
言語・文化に関しては、他の地方と大きく異なっていたとされる。
特に畿内では、彼らの歌舞による「隼人舞」が有名であった。また平城宮跡では彼らが使ったとされる「隼人楯」が発掘されており、これには独特の逆S字形文様が描かれている(『延喜式』に記述があり、合致している)。
天皇の私的な家来という立場は何百年も続いていて、大和朝廷もそれなりの配慮を配っていることはよくわかる。
周りの人たちが、隼人は外人だと思っている。
だけど天皇の私的な家来として、ヤマトに入り込んでいる
となれば、結論は一つ
天皇も隼人だったということになる。
倭の五王
倭の五王(わのごおう)とは、中国の歴史書に記述のある倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武をいう。ウィキペディア
この倭の五王が謎とされているのは
「倭の五王」の遣使の記録が『古事記』『日本書紀』に見られないという事である。
ヤマト王権の大王が、「倭の五王」のような讃、珍、済、興、武など一字の中国風の名を名乗ったという記録は存在しない
不思議である。
信頼の置ける中国の歴史書には413年-478年の間に少なくとも9回は朝貢しているのに、何の記録も日本側にない。
この倭の五王に日本の天皇を当てはめた説に、「武」は雄略天皇だという説がある。
雄略天皇が亡くなった時、隼人は墓の前でないたという記録を思い出してほしい。
となれば神武天皇から雄略天皇まで、確実に天皇一族は隼人だったのではないだろうか。
雄略天皇の息子は清寧天皇(せいねいてんのう)という。
白髪皇子(しらかのみこ)とも呼ばれている。
母親は葛城韓媛(かつらぎのからひめ)である。
彼はアルビノで生来白髪であったと記録にある。
本当だろうか。
白人天皇
雄略天皇は隼人である確立がはるかに高い。
そして隼人は外国人とされている。
となれば、雄略天皇の息子も外国人ではないか。
もしかすると、白人という可能性も残る。
「日本人バイカル湖畔起源説」があり、縄文人がロシアのバイカル湖あたりから日本にやってきたという説がある。
母親は葛城韓媛とある。
葛城は大和地方の古族であり、韓媛とあるのは大陸との繋がりがあるのかもしれない。
トンデモ説といわれそうだが、白系ロシヤの血が復活した天皇が誕生していたのかもしれないと想像するのだ。
古代天皇の特殊性
隼人一族が特殊であったことは明白である。
●隼人の戦闘能力はその名前から推測される。
●隼人の呪力が大和の支配者層に信じられている。
●狗吠(犬の鳴き真似)行為や身につけている緋帛の肩巾(ひれ)や横刀が、悪霊を鎮める呪声であり、呪具であったとされている。
●隼人は小柄で九州島の人骨と比較して、小柄であり、頭蓋変形がほどこされていたと考えられている。
●言葉が大和人たちと違い、話す際には通訳が必要だとある。
●九州南部地域は現在でも血液指数、指紋指数が特殊な数値を示す事から、隼人も多少なり、血液・指紋の型は大和とは異なると見られている。
いずれにしても、古代日本を制圧していったのは、隼人を率いる天皇一族の戦闘能力のせいだと考えたほうが理解しやすい。
そういえば、邪馬台国の卑弥呼も「鬼道」を用いて民を従えていったとあり、その卑弥呼は、一人の人間にしか神託を伝えなかったという。
まるで隼人族のようである。
もしそうであるなら、大和と邪馬台国は、隼人でつながる事になる。
これは想像のしすぎだろうか。
隼人の盾
隼人の盾は有名である。
世界と比べ、日本では盾はあまり普及をしていない。
しかし、隼人たちは盾を使って戦闘したと思われる。
これもまた、外国人の証だろうか。
表に渦巻きと三角の文様がある。
渦巻きと三角は古代からよく使われている文様だ。
これらの文様に意味があるとしたら
ヤマトと隼人の関係を表したものではないか。
元は一つでつががっているが、違う渦となっている二つの渦。
そしてそれは天皇一族の印だといっているような気がする。
神社の狛犬
神社の狛犬は隼人から来ているという説がある。
狛犬の起源はライオンだとするのが一般的だが、隼人独特の犬の鳴き声の真似(私は狼のうなり声だと考えている)は、天皇族の神々を守護するのに最適である。
邪馬台国と対立したのは狗奴国である。
現在二つの国の比定は論争中だが、狗奴国が熊本か鹿児島だとすると隼人の本拠地となる。
狛犬とは、狗奴国の犬(狼)ではないかとひそかに想像する。
「狛」とは一対の向かいあっている獣の像のことで「からいぬ」とも言う。
「狗」とはいぬ科のけだもの。一般に勇猛で従順、嗅覚(きゅうかく)・聴覚が鋭いので、番用・狩猟用・警察用・労役用などにする。
とある。
どうだろうか。
ヤマトと隼人
古代の神話に出てくる、海彦山彦の話から、神武東征、大和朝廷での隼人の存在
いずれをとっても、ヤマト=隼人の図式が浮かび上がってくる。
現在の日本人にとっても隼人は男の子の名前につけたりする好感度の高い名称である。
私の説は素人の説である。
どこか我田引水を繰り返しているかもしれない。
その危惧は承知しているつもりである。
ネットだけでは、隼人の事はよくわからなかったので書籍を3冊読み、この文を書くときに参考にさせて頂いた事を追記しておく。
南方神話と古代の日本―古代東アジアの中の日本 (角川選書) 中西 進 (編集)
隼人族呉人説 久々知 武(著)
熊襲と隼人 (教育社歴史新書 日本史 8) 新書 井上 辰雄 (著)
さらに学術的に隼人の事が解明されれば、日本国の成り立ちがわかると確信する。
私の両親も代々鹿児島県在住で、この説を10年ほど前から直感的に閃いていました。
私的な憶測ですが、明治維新の薩摩藩志士たちも気ずいていたからこそ、あの武功ぶりだったのだろうと直感しています。
コメントありがとうございます。