ヘトマトの謎-6
「ヘトマト」と「鯨」の下崎山地区。
二つの関係を調べれば、謎解きの重要なポイントになるはずである。
まず崎山と言う地名だが、日本の地名とすれば、違和感はないが 念の為調べてみた。
崎山(サキヤマ) 大和に崎山庄、陸中、能登、紀伊、大隈などにこの地名あり。
国土基本地図に25ヶ所あり。
とある。
これだけでは、何も推測が出来ない。
崎山とは逆の山崎。
こちらの方はもっと馴染みがある。地名と言うより人名の方だが、友人にも「山崎」君はいる。
こちらは、ネットでの解説があった。
山崎とは元来、山が岬のように突き出た部分、あるいは半島を表す言葉であり、同様の地形をもつ場所の地名として多く使われている。
崎山地区は回りは山だが、岬の地域ではない。
しかし、山﨑地区の人が、山﨑家を名乗り、一族が増えた場合、紛らわしかったり、本家分家の名前を変えるなんて事があるかも知れない。
下崎山は、﨑山、上崎山も有り、﨑山地区である。
地名が名字になる事も多いので調べてみる。
名字由来netより引用
【名字】崎山
現和歌山県と三重県南部である紀伊国崎山村が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)湯浅氏流がある。
ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)加茂氏流、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)などにもみられる。
「山」は山の地形を表す。「崎」は先端、突端、端を表す。
こちらの方が分かり易い。 結構由緒があるようだ。
しかし、名字をたどると源氏、平家にすべて繋がっているので、崎山イコール名門の出と言う事ではないだろう。
五島、宇久島には平家落人伝説がたくさんあるので、戦いがある度に、負けた方が西の果ての五島にたどり着いた事もあるだろう。
﨑山 全国人数 およそ12,800人
沖縄県 およそ2,500人
千葉県 およそ1,500人 大阪府 およそ1,300人 和歌山県 およそ820人 鹿児島県 およそ700人 長崎県 およそ250人
この調査の結果には驚いた。 沖縄という地域が、唐突に出てきたのだ。
「沖縄」「崎山」というキーワードで調べると
崎山(さきやま)は日本の南西諸島、沖縄県八重山郡竹富町の字。
かつては東に網取・南に鹿川などの小集落が大字崎山の下に小字として存在したが、いずれも1972年の沖縄返還よりも以前に廃村となっており、現在では定住者はほとんど存在しない。
とある。
地図を見ると、有名な石垣島が隣にある。
台湾のすぐそばである。 沖縄県八重山郡竹富町の歴史を調べてみる。
竹富島(たけとみじま)は、沖縄県の八重山諸島にある島。
沖縄県八重山郡竹富町に属している。八重山の中心地である石垣島からは、高速船で約10分程(約6km)の距離にある。
人口は358人、戸数158戸(2013年10月27日現在)。
「竹富」は近代になってからの当て字で、明治半ばまでは「武富」と表記されることが多く、かつてはタキドゥンと呼ばれていた。
特別、五島と関わる内容はない。
それでは行事はどうだろうか。
ジュングヤ(十五夜祭)「世迎い」と言うのが主な行事のようだ。
十五夜祭 9月28日(火)は、ジュングヤ(十五夜祭)で、 旧暦8月15日に執り行なわれる祭です。
旧暦の8月15日を男の祝日として、旗頭を打立てて行う、竹富島の祭事行事ではめずらしい勇壮なお祭りです。内容は、綱引きや、ヤドゥ(板戸)の芸能が行われます。(略)
~十五夜祭次第~
1、開会のことば 2、公民館長のあいさつ 3、綱アーシ(雄・雌の綱を合わせる)ガーリ 4、仲筋支会の福の神 5、西支会の七・五・三 6、綱のみん(青年会の棒うち) 7、勝負を決する大綱引き、ガーリ 8、東支会のブナジナー 乙女たち二人がグシと肴を持参する 9、閉会のことば
ここで、ヘトマトとの共通点を見つけた。
まず、綱引きの行事がある。あと宴会の際、乙女が二人登場して食べ物を持ってくるという。
「乙女」という女性は、当然、処女か未婚の女性だと思う。
特別な決め手はないけれど、ヘトマトとかすっている部分だ。
信仰 島内には28か所の御嶽(オン)が存在し、信仰の対象となっている。
特に竹富島の始祖と云われる6人の親神を祀った御獄は六山(ムーヤマ)と呼ばれ、各種の神事の行われる最も重要な拝所とされている。
この御嶽(オン)という言い方には驚いた。文字から言えばおんだけである。
五島で有名な山は鬼岳である。この鬼岳はおんだけと呼ぶのだ。
なごみの塔
西集落の中心に位置する赤山公園(赤山の丘:平家の落人伝説がある丘)にそびえ立つ塔。
平家の落人伝説 1185年、壇ノ浦の海戦で敗れた平家の落武者、赤山王は遠くこの地、竹富島に漂着し、地の利を占めるここを要害としたとのことである。
五島にも平家伝説はある。沖縄の竹富島にもあると思わなかった。
多分五島まで逃れた平家は、更に船に乗り沖縄まで漂流したのだろう。
余談だが、琉球王国の正史『中山世鑑』には源為朝、別名鎮西八郎の子が初代琉球王舜天になったとしている。
2月3月は、沖縄近海を鯨が回遊しており、慶良間諸島ではホエールウォッチングツアーなど鯨に関するイベントが開催されているそうだ。
ここで、鯨が出てきた。
12月~4月にかけて、ザトウクジラはシベリア海域から、出産と子育てのために沖縄のあたたかい海にやってくるという。目撃された鯨類は、ザトウクジラ、ミンククジラ、歯鯨の仲間であるマッコウクジラ、ハンドウイルカ、オキゴンドウ(イルカ)等がいる。ホエールウォッチングで親子クジラに出会うことも少なくない。
この時期は、冬から春であり、当然正月も入る。
五島のヘトマトは、正月の行事である。ここは覚えておこう。
もう一つ大事なことは、沖縄でも捕鯨が行われていて、クジラやイルカを食べる習慣がある。
沖縄において鯨類は「ピトゥ」という表現でイルカと区別がなかったという。
(生物学的に言えば鯨もイルカも同じ種類であり、大きいのを鯨、小さいのをイルカと慣習として呼んでいるだけである。)
五島にも当然、クジラを食べるが、イルカも食べる。五島のスーパーにはイルカの切り身が売っているのだ。
つまり、沖縄と五島は、鯨やイルカを捕り、食べるという伝統があったのだ。これは特別なことではなく、海の幸で暮らす者たちとすれば当然だろう。
そして、民話だが、牛が泳いでいる内に鯨になったと言う話がある。
昔、怠け者の牛は、「陸にいると、人間に使われてたまらん。」 と人間にこき使われるのを嫌がって海に逃げて鯨(くじら)になりました。ところが、海でもまた龍宮でこき使われたので、龍宮を逃げ出して、渡嘉敷島の近くに帰り、牛のような鳴き声をあげて、泳ぐようになりました。
という話しが残っている。
沖縄では、鯨と牛は同じ生き物だったという事である。
五島でも牛は大切にされている。そして鯨の漁をする。
とりあえず、関係のありそうなものをピックアップしてみたが、意外な事に共通点が多い事に気がついた。
ヘトマトの謎がとけそうだ。