東北王国(4)  アイヌは縄文人を制圧した

アイヌ族

 
最近、アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法が19日、参院本会議で採決され、賛成多数で成立したという記事が出た。
 
アイヌ新法が成立 「先住民族」と初めて明記
https://www.asahi.com/articles/ASM4M33SVM4MUTFK004.html
朝日新聞デジタル

参院本会議場の傍聴席で、アイヌ新法の成立を喜ぶアイヌの人たち=2019年4月19日午後0時8分、岩下毅撮影

 
アイヌという民族について、私たちはよく知らない。
 
「カムイ」を信仰する自然志向の北の住人ぐらいの認識だろう。
 
しかし、最近は科学的な遺伝子解析で、新しいアイヌの姿が示唆されるようになっている。
私も興味があっていろいろ書いているのだが、今回東北の事を調べたおかげで、だいぶ理解できたような気がする。
 

新しい侵略者アイヌ

どの本にも、HPにも書いている事だが、アイヌ文化は鎌倉時代からというのが事実である。
 
アイヌ=縄文人の末裔というイメージしかなかったのだが、いくら発掘調査をしても800年以上前には、アイヌが北海道で先住していた痕跡が全く見つからなかったからである。
 
この縄文の末裔というイメージは、縄文人のDNAがアイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であるという説明から来たものだ。
 
これは間違いないと思うのだが、もう少し詳しく知る必要があると思った。
 

アイヌ人の姿

  • アイヌは、元来は狩猟採集民族であり、物々交換による交易を行う。
  • 独自の文化を有する。
  • 母語はアイヌ語。独特の文様を多用する文化を持ち、織物や服装にも独特の文様を入れる。
  • 家(住居)は、「掘立柱建物」と呼ぶ建築様式。
これらの事から言えることは、縄文時代との連続性がない、独自の文化を持つ民族であるということである。
 
アイヌは周囲のモンゴロイドと大きく異なるコーカソイドに似た形質を持っており、人種的にはアイノイド(Ainoid)と呼ばれる。ウィキペディア
 
モンゴロイドというのは、一般に黄色人種の事を言い、日本人はモンゴロイドである。コーカソイドとは主にヨーロッパに住む白人たちの事を言う。
 
そしてアイノイドはアイヌ人の事を言うとある。
 
という事は、アイヌ人は混血でできた民族だという事である。
 
遺伝子の事も詳しく公表されている。
 
アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比について
ハプログループD1a2aは日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。これは琉球人で50%弱、本土日本人で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。ウィキペディア
 
こんな説明を読めば、アイヌ人が縄文人の末裔だと思い込むとは当然だと思う。
 
縄文人もアイノイドという事になる。ざっくり言えば西洋系とアジア系の混血だ。
 
日本中にアイノイド縄文人が存在していたといわれている。
 
それはATLのレトロウイルス(HTLV-1)をアイヌ人と琉球人が持っていることで証明されている。
 
しかし、ATLのレトロウイルスの分布をみると、海岸沿いである事もわかっている。
 
ここから、縄文人と弥生人という二重構造説が生まれている。
 
二重構造説「もともと縄文系の人々が住んでいたところに、弥生人が後から大陸経由でやってきたが、沖縄や北海道(アイヌ)の人々は本土の人々とあまり交流がなかったために異なる集団となった」
 
つまり縄文時代の縄文人たちは、日本列島の弥生人から追いやられた格好になっているという。
 
しかしこの説に疑問がある。
 
言語である。
 
二つの民族が混血した場合、数や力が上位の民族の言葉になるという原則がある。
 
アイヌの言語や文化が日本と全く違うのは、混血した人々のほうが優位だったからである。
 
となれば本土の日本人は弥生人の言葉を話しているという事になる。
 
おかしくないだろうか。
 
日本語は独立語と言われ、アジア大陸のどの地域とも同じではない。
 
しかし弥生人は日本語を話していたのだ。
 
 
弥生人は、弥生時代に日本列島に居住した人々、狭義には弥生時代に中国大陸や朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた人々を指す。ウィキペディア
朝鮮半島には5000年間無人の時代があるし、日本文化の古墳も多く発見されていて、朝鮮半島から朝鮮系古代人はやってきていない。
 
中国大陸と言っても広い。中国大陸の人々は、地域によって言葉が違う。だから漢字が発生したのである。
 
日本にやってきた弥生人と呼ばれる中国南部の人たちは、日本語を話していたのだろうか。
 
しかし、そんな証拠はどこにもない。
 
となれば、いろんな可能性を考えれば、縄文時代から弥生人と呼ばれる人たちは、ずっと日本に住んでいたことになる。
 
つまり、弥生人とは渡来系ではなく、土着縄文人の中の弥生系の人々だったという事になる。
 

饅頭型二重構造説

私は、日本の海岸線は北方系縄文人。日本の内陸は弥生系縄文人という説を唱えることにする。
 
こう考えないと、二重構造の日本人が独立言語の日本語を話している理由が説明できないのである。
 
ここで私の座右の銘であるシャーロックホームズの言葉を引用したい。
 
 
不可能なものを除外していった時、どんなものが残っても、それがどれだけ信じられなくても、それが真実なんだ。

海幸彦 山幸彦 (日本の物語絵本) (日本語) 大型本 – 2004/9/1

西本 鶏介 (著), 藤川 秀之 (イラスト)

 
私が思ったのは、あの海幸彦、山幸彦の神話である。
 
この神話では、海幸彦は九州の隼人の事であり、山幸彦の末裔は大和人という事になっている。
 
この話は、やはり日本の二重構造説の事なのだと思う。
 
日本は他民族の民族のるつぼと言われている。
 
しかし、そのるつぼ状態は1万年以上も続いている。当然人種は混血を繰り返し、日本人になっている。
 
その日本人の中に、海岸線や島に住む北方系縄文人と、内陸系弥生人と呼ばれる縄文人がすみ分けていたのである。
 
そして、その形は饅頭の皮とアンコに似ているのだ。
 
その饅頭の皮がアイヌ人と琉球人なのだ。
 
アイヌ人と朝鮮人は同じ成立過程を持っている
 
朝鮮半島に住んでいた倭人たちは、満州地域の人々が南下してきて制圧され、朝鮮半島人になってしまった。
 
だから遺伝子が近くても、言葉や文化が違う人々に変化していった。
 
アイヌ人も、縄文人を制圧していった、北方系民族に支配され、遺伝子は縄文だけど、言葉や文化が変化していったのである。
 
だから、アイヌ人と朝鮮人は同じ成立過程を持っているのである。
 
弥生系が渡来人といった学説が主流なのは承知の上である。
 
だが、稲作は朝鮮半島からと、全くのウソを長い時代唱えていたのも学説である。
 

縄文人の定義

アイヌ文化は鎌倉時代からで、それ以前に北海道にアイヌ文化の痕跡がないという事実と、縄文人のDNAがアイヌ人に多いというのは矛盾するのである。
 
という事は、縄文人の定義が問題になってくるのかもしれない。
 
しかし現状でできる範囲の科学的な調査なので、縄文人の定義は置いといて、事実だけを追いかけていたい。
 
アイヌ民族の出現以前は、明らかに縄文様式が継投されていて、アイヌ文化に入った途端、全く異質の文化になったというのが事実である。
 
最近の論調をズバリ言えば、縄文人を侵略し土地を奪ったのがアイヌ民族であるという事である。
 
その論の根拠になっているのは、やはり科学的な調査からである。
 
アイヌは本当に先住民族だったのか、アイヌ新法の危うさ
https://netlabo.biz/fact-ainu
 
上記のHPが簡潔にまとめられていたので紹介したい。
 
北海道の文化の変遷は、縄文文化 →続縄文文化 → 擦文文化 → アイヌ文化となっている。
 
問題視されているのは、擦文文化とアイヌ文化の連続性のなさである。
 
1.縄文文化から擦文文化までは、かまどのある「竪穴式住居」。アイヌ文化は「掘立柱建物」
 
2.擦文文化までは土器を使用していたが、アイヌ文化は鉄文化。
 
3.アイヌ語は日本語と全く違う。
 
これらの指摘は、アイヌが縄文人を制圧したという根拠である。
 
なるほどと思う。
 

オホーツク人

オホーツク人

 
近年の研究で、オホーツク人がアイヌ民族と共通性があるとの研究結果も出ている。樺太(サハリン)起源とされるオホーツク文化は5世紀ごろ北海道に南下したが10世紀ごろ姿を消している。
 
アイヌ民族は縄文人や本土日本人にはないハプログループY遺伝子を20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していた。
 
増田隆一北大准教授は「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこからアイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測。
 
通婚関係と書いているが、本当は侵略であり、抵抗する縄文人の男たちを殺戮し、縄文人の女性やその他の縄文人を従えていたという事実の結果である。
 
アイヌ民族がオホーツク人らのY遺伝子を20%の比率で持っているというのは重大である。
 
オホーツク人は漁労や海獣猟を主とした海洋民で、5~13世紀にかけて道北・道東・サハリン南部を中心に海岸近くに多くの遺跡を残している。
 

オホーツク人のDNA解読に成功

ー北大研究グループー http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html

 
遺伝子の研究では
 
樺太北部やシベリアのアムール川河口一帯に住むニブフ族に最も近く、またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らすイテリメン族、コリヤーク族とも祖先を共有することがDNA調査でわかった。
 
いろんな民族の名前が出てきて面食らうが、ニブフ族、ウリチ、イテリメン族、コリヤーク族など複数の混血である。
 
そのオホーツク人が縄文人の末裔の擦文文化人に出会い、鉄器を持っていることで、縄文人を支配下に置き、アイヌ文化を作ったのである。
 
これで、日本語とアイヌ語が全く違う事が理解できる。
 
余談だが、アイヌ民族の数の数え方は20進法である。
 
 
20進法を使っている国
マヤ文明やアステカ文明では、20、400、8000 で桁上がりする純粋な20進法。
フランスでは99をいうのには 4X20+19という。ヨーロッパの西部に今でも残る現象
 
これは、文化が違う事の決定的証拠だと思う。
 
しかし、アイヌ民族には縄文の人たちも混ざっていることは事実である。
 

Y染色体D系統

日本人は、世界でも珍しいY染色体D系統であることが証明されている。
 
日本国内の分布は、アイヌ87.5%、沖縄47.5%、日本本土32%から39%という。
 
この数字は、日本人以外の男性の数の比率である。
 
私の饅頭型二重構造説でいえば、北方系の饅頭の皮の部分の縄文系縄文人たちは、海路で日本中を移動したのである。
 
三内丸山から出土した宝石類や出土品を見れば、日本はもとより、中国大陸まで交易した可能性が残っている。
 
そして、沖縄から東日本の大洞系(おおほらけい)土器が出土している。
 
つまり、縄文系縄文人たち、言い直せば海幸彦のグループは、日本中を移動していたのである。
 
そして、弥生系縄文人、つまり山幸彦グループと混血していったのだ。
 
アイヌ87.5%、沖縄47.5%、日本本土32%から39%という数字を見れば、その混血度合いがはっきりする。
 
しかし、日本中の言葉がある程度均一なのは、海幸彦グループも山幸彦グループも日本語を話していた証である。
 
アイヌの場合、その混血の相手が、オホーツク人と呼ばれている北の異人種だったので、言語が違ったのだが、琉球人の場合、内地の山幸彦グループとの混血が多かったので、言語体系は日本語なのである。
 
琉球語は日本語と同じ系統なのだが、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがある。なので、フランス語とイタリア語の差に匹敵するとも言われている。
 
そこから導き出されるのは、琉球語の中に縄文語があるのかもしれないという事である。
 
実際、その事を学問的に研究している人もいる。
 

先住民族問題

アイヌ族は間違いなく、縄文人の末裔である。
 
そして北方民族のオホーツク人の事も最近研究されている。
 
北方の血が入ったとしても、鎌倉時代からその文化の根を、日本に張り始めているので、やはり日本民族である。
 
ただ、アイヌ族の前には擦文文化人が存在しており、その前には続縄文文化、縄文文化と連続性のある時代が続いていたのは明らかなので、唯一の先住民族という意味ではなく、単純に昔住んでいた民族であり、その後も大和に混じっていった人たちである。
 
蝦夷(えみし)と大和朝廷との争いが問題になるが、日本書紀の景行天皇条には、武内宿禰が登場し、蝦夷を視察しているくらい古いのでアイヌの事ではない。
 
また北海道だが、14世紀初頭の蝦夷島(えぞがしま)に居住していた3つの集団には、アイヌと推定される日ノ本(ひのもと)、日本海側のアイヌを指すと思われる唐子(からこ)、「和国の人」とのコミュニケーションが可能で、津軽海峡を往来して交易を行っていた渡党(わたりとう)がいるとある。
 
なのでアイヌが単独で先住民族だったというのは間違いなのである。
 

様々なアイヌの人たち

自然を好み、自然神とともに生きるアイヌの人たちに触れて、絶賛している本土人たちもいる。
 
しかし、アイヌの権利を振りかざし、政治団体と結びつく人たちもいる。
 
アイヌをアメリカインディアンになぞらえたりさえしなければ、もっと仲良く暮らしていけるはずである。
 
それだけが残念に思う。
 
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東北王国(1) 日本中央碑の謎
https://artworks-inter.net/ebook/?p=5263
 
東北王国(2) 蝦(ガマ)の夷(エビス)
https://artworks-inter.net/ebook/?p=5297
 
東北王国(3) 東北縄文人の大移動
https://artworks-inter.net/ebook/?p=5311
 
東北王国(4) アイヌは縄文人を制圧した
https://artworks-inter.net/ebook/?p=5337
 
東北王国(5) 日本の裏の歴史 アベ一族
https://artworks-inter.net/ebook/?p=5347
 

東北王国(4)  アイヌは縄文人を制圧した” に対して2件のコメントがあります。

  1. ピンバック: 06/08NEWS!!
  2. まり より:

    >>通婚関係と書いているが、本当は侵略であり、抵抗する縄文人の男たちを殺戮し、縄文人の女性やその他の縄文人を従えていたという事実の結果である。

    アイヌ侵略説を唱える人に疑問があるのですが、本当にアイヌが縄文の男を殺戮したのであれば、男系にしか伝わらないY染色体のDが80%も現存していたのは矛盾してませんか?
    和人の30%台に落ち込んでる数値こそ、殺戮があったとみなすべきではないでしょうか?

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