神話は事実を基にして脚色されている
高天原は九州、卑弥呼は天照大神説の検証
このムービーは安本美典氏の『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』という本を参考にして製作しています。
古代天皇の平均在位年数10年説。
一般的には20年から30年とされているが、現在から逆算すると縄文時代か弥生時代初期に神武天皇は誕生したことになる。
これはあり得ない。古代の人の平均寿命は弥生・古墳時代では10~20才。
天皇は父から子への政権移譲が原則とされているが、古代では兄弟間での移譲があったかも。
総合的に考えれば古代天皇の平均在位年数10年説は極端におかしい説ではない。
また高天原時代は九州王権の事だと考えれば、天照大神が高天原時代の初代天皇となる。
そしてアマテラス=卑弥呼説は生まれていく。
本文
神話は事実を基にして脚色されている
高天原は九州、卑弥呼は天照大神説の検証
このムービーは安本美典氏の『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』という本を参考にして製作しています。
卑弥呼は天照大神説に関しても、結構有名な説で、取り立ててここで紹介することもないと思ったのですが、最近安本美典氏の本を何冊か読み進めていくと、その理論的な内容に、改めて納得したのです。
今回は僕が納得した内容を取り上げてみたいと思います。
神話と史実の差
古事記といえば、最初は神様の話で、日本の歴史とシンクロしているはずはないと思い込んでいた。
だからこそ、いろんな想像がわいてくる。
しかし、古事記に載っている物語と、現実の歴史の時代がシンクロしたとしたら、話はがらりと変わってくる。
天皇の平均在位年数が10年としたら、神武東征が270年から290年の事だとなってくる。
安本美典氏はそれを、世界の資料や記録に残っている日本の天皇の在位記録から導き出している。
安本美典氏の説への反論
安本の計算する平均在位年数は生物学的に無理があるほど短く、計算にあたって引用した数値の選択にも疑問があり、また多くの古代氏族に伝わる系図の世代数を無視したものとの指摘がある
今回の本の重要性はこの天皇の平均在位年数が10年という事なんです。
当然、反論は多いだろう。私もこの説を本の受け売りとして書いているだけだ。真実かどうかはわからないが、この仮説が僕は気に入ったのだ。
詳しく知りたい人は本を読んでほしい。
現実には、様々な説が通説として発表されている。
津田左右吉(つだそうきち)氏は一代を20年から25年、直木孝次郎(なおき こうじろう)氏、井上光(いのうえ みつさだ)貞氏は20年から30年だ。これが世間一般の通説だ。
現代の天皇は徳仁(なるひと)で第126代天皇である。もし一代が30年としたら、3700年前の話になり、縄文時代となってしまう。
こうなると、神話と現実を切り離さないと、古事記解釈は無理である。
また中国の魏志倭人伝の邪馬台国の話は、大和と全く関係がなくなってしまう。
つまり、時代推定は、すべての仮説の上で最重要課題になってくるのだ。
人間の平均寿命
古代の人の平均寿命
700年の平均寿命を28年~33年と推定している。
近代以前の日本の人口統計 平均寿命 - Weblioウェブリオ 辞書旧石器時代・縄文:15歳 前後・弥生・古墳時代:10~20 代・飛鳥・奈良時代:28~33 歳
戦国ヒストリー
https://sengoku-his.com/1498縄文時代 14.6
室町時代 15.2
(資料)鈴木隆雄著(1996)「日本人のからだ―健康・身体データ集」弥生時代には、出生数の半数前後しか成人になれず、平均寿命もせいぜい30年前後だったと見なされる。
九州大学ミニミュージアム
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/publications/special_exhibitions/WAJIN/wajin.html
まあ、平均寿命というのも、難しい学問だと思う。
当時は生まれてまもなく亡くなる子どもが多かったために、全体としての平均寿命が低かったとされているので、うまく生き延びると高齢だった可能性も指摘されている。
ただ 弥生・古墳時代の10~20才とい平均寿命を考えれば、古代天皇の平均在位が10年というのは、それほど突拍子がなくはないとも思う。
もう一つ可能性があることは、古代の天皇は万世一系とされ、父から子への政権移譲が原則とされているが、古代では兄弟間での移譲があったかもという事だ。
その根拠は天皇の和風諡号だ。
天皇の崩御後の称号
諡号はその人の高貴さや具体的な高徳を表わした美称を死後に贈るもの
第7代 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
第8代 孝元天皇(こうげんてんのう) 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
第9代 開化天皇(かいかてんのう) 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)
共に「やまとねこ」が同じ。10代崇神天皇(すじんてんのう) 御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
11代垂仁天皇(すいにんてんのう) 活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)
共に「いりびこ」が同じ。12代 景行天皇(けいこうてんのう) 大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代 成務天皇(せいむてんのう) 稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)
14代 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
共に「たらしひこ」が同じ。水野 祐(みずの ゆう)氏 日本の古代史学者
親子だから似ているのは当然という考えもあるが、兄弟だからという考えもできる。
兄弟で政権を担えば、在位10年という説もすんなり理解できるのだ。
現在存在が有力視されているのは、第10代崇神天皇で、没年が318年もしくは258年となって いる。
没年の年に60年の開きがあるのは、干支からきている。
干支の信ぴょう性も問われている
第16代の仁徳天皇の没年は427年、第31代用明天皇の没年587年で、信用ができると安本美典氏は言っている。
第16代と第31代の差は15代 没年の期間は160年 在位10年という推理とあってくるからで ある。
とすれば、仁徳天皇から数えて、16代前の神武天皇は約160年前、つまり287年前後に亡くなっているという事になる。
ここまではどうだろうか。
平均在位10年というのは信用できないとなれば、すべては無しになってしまう 。
日本の歴史と神話がある程度シンクロしていると考えれば、弥生時代から大和王権ができたと考えてもいいはずだ。
そして魏志倭人伝に載っている卑弥呼が247年に亡くなっていて、卑弥呼の後継の男王の次に、13歳で女王になったと書かれている。
これは中国の歴史書に載っているので、一般的には事実と受け止められている。
政権在位10年説でいけば、台与は257年ごろ政権を取っている。
平均 在位10年の誤差はどれくらいなのが不明なのだが、ここで神武天皇の前に邪馬台国台与政権があったという事が推理できるのだ。
さらに 神武天皇の前は、ウガヤフキアエズ、ホオリ、ニニギ、アメノオシホミミ、アマテラスとなる。
神武天皇はつまり287年前後、ざっくり250年から300年に死んだとすれば、その五代前のアマテラスは200年から250年の政権担当者となる。
ここでアマテラスと卑弥呼の活動時期が一致するのだ。
ここまでくれば、高天原の神話と邪馬台国の卑弥呼の話が、非常によく似ていることに気づくはずである。
一番わかりやすいのが、天岩戸神話だ。
スサノウが高天原で暴れて、アマテラスは天岩戸に隠れてしまう。
高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。
そして、アマテラスは周りの神様から、再び呼び戻されて、高天原を治める。
卑弥呼の場合
卑弥呼が247年に亡くなっている。その時248年には日食が起きていたという説がある。
その後男子王を立てたが国が乱れて収まらず、台与が女王となる。
アマテラスが天岩戸に隠れるとは、アマテラスの死
神話のアマテラスが卑弥呼ならば、当然高天原は九州になる。
所在地についての諸説
天上説 信仰や観念的な考え方
地上説 神話は何がしかの史実を含んでいる
作為説 神話は作られたもの
つまり、古事記は日本の建国神話をベースに編集されたのである。
このアマテラス=卑弥呼説は新しい説ではない。
しかし今回私が感銘したのは、安本美典氏の調査である。
グラフや表を使い、これまでの天皇平均在位説の検証を丁寧に行っている。
疑問に思われる方は、一度本を読んでほしい。
そこには我田引水にならず、客観的な視点で語っている。
思い付きにこだわらず、論理性を重要視しいていると思う。
今回の『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』の本は平成15年に出版されている。
今から20年前の本である。なので古代の新しい発見も多いのだが、現在読んでも、古さは全く感じなかった。
古代史は様々な説が展開され、百花繚乱と言える。さらに流行り廃れもあるし、定説とされていることにも疑問が多い。
また神話のとらえ方にも大きな差が出てくる。
ただ私には、古事記や日本書紀の神話が、ただの空想話とはどうしても思えないのである。
これもまた、私の囚われなのかもしれない。
ただ古代史は新しい発見により、がらりと変わることがある。
それもまた期待したいと思っている。