謎のミミ族-3 完結

日本の古代先住民は、耳飾りをしていた。 仏像は耳が垂れている。

聖徳太子は耳は大きく書かれているが、耳飾りはしていない。

耳飾りをしない、大きい耳の人達は特別の存在だったのだろうか。

聖徳太子

大耳と垂耳は女性か?

五島にどんな人たちが住んでいたかというのが、歴史書に載っている。

『肥前風土記』の松浦郡の項、値嘉嶋の記事 ここに天皇、恩を垂れて赦したまい、さらにのりたまわく「この嶋は遠けれども、なお近きがごとく見ゆ。近嶋と言うべし」とのりたまいき。よりて値嘉嶋と言う。

(中略)かの白水郎は馬牛に富めり。或は百余り、或は八十余り。 (中略)この嶋の白水郎は、容貌隼人に似たり。つねに騎射するを好む。その言語は俗人に異なれり。

上記のように、「嶋の白水郎は、容貌隼人に似たり」とある。

この文章から想像出来るのは、筋骨たくましく、日に焼けた野人というところであろうか。

そして隼人系白水郎の五島人の首領は、大耳と垂耳という名前だったという事だ。

首領だから、筋骨たくましいリーダーと想像されるが、そうでない可能性も大いにある。

肥前風土記には、土蜘蛛の記述が多くあるが、女性が首領という場合が多い。

大山田女(オホヤマダメ)、狭山田女(サヤマダメ) 佐嘉(さか)郡、海松橿媛(ミルカシヒメ) 賀周(かす)の里、八十女人(ヤソヲミナ) 嬢子山(をみなやま)、速来津姫(ハヤキツヒメ) 速来(はやき)の村、浮穴沫媛(ウキアナワヒメ) 浮穴(うきあな)の郷

古代土蜘蛛一覧(肥前国風土記) http://www.jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_02.html#17

女性と思われる名前だけを抜粋した。

それ以外にも、女性を思わせる名前も多い。

大身(オホミ)、大白・中白・少白の三人の土蜘蛛なども、女性くさい。八十女人(ヤソヲミナ)などは、沢山の女性という意味だそうだ。

私の実家は漁師の町にあった。

昭和の話だが、集団で男達は遠洋漁業に精を出していた。

遠洋漁業

遠洋漁業

そうなると、町には男達はいなくなる。遠洋漁業では一ヶ月以上家を空ける。

だから、漁業の町では、女性達のネットワークがしっかりしている。

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母親達は、子育ても仲間達で行い、日々の暮らしも助け合う。

そんな集団なのだ。

土蜘蛛と言われる生活集団は、肥前風土記にもあるように、比較的従順で、争わない。

それは戦闘的な部族ではなかった事を意味する。

海や山を生活の場にしているので、男達は勇猛だが家にいる時は少なかったと思われる。

冷凍技術など無い時代だから、何ヶ月も遠くへ行くという事はないだろうが、週に1~2日しかいなかったのではないだろうか。

また、海や山は危険が伴う。つまり海の男達はよく死ぬ。

ここが、農耕集団と大きく違うところである。

そんな集団の政治的実権は、女性が持っている事に不思議はない。

食料調達の実行部隊の長は、当然力のある男性だ。

そして、生活を守り、吉兆をつげたり、組織を束ねるのは女性にかぎる。

五島の大耳、垂耳と呼ばれた土蜘蛛も女性だった可能性は高い。

女性で「大耳」「垂耳」という名前だという事は、特徴的な耳飾をしていたという事にならないだろうか。

大きい耳(たぶ)は尊さの象徴であり権威の象徴

「仏像は耳が垂れている」という理由は前項に書いた。

大日如来

大日如来

倭人と呼ばれた日本在住の原住民は、インド・チャイニーズ系とインドネシア系に大別できる。

五島という場所は、その混合地域だったと思われる。

インドネシア系の隼人族とインド・チャイニーズ系の白水郎が共存し、混血をしてできた集団の地だと言ってもいいだろう。

縄文の遺跡に大きなイヤリングが出てきた事も前述した。

縄文時代には、おおらかで独創的な土偶が多くでている。

みみずく土偶

みみずく土偶 耳飾をつけた土偶

大きい耳(たぶ)は尊さの象徴であり権威の象徴という考えが釈迦の時代に出てきている。

紀元前600~500年の話である。

日本は縄文と弥生という文化の交錯時期で、大陸から日本原住民とは異なる民族が倭国にやってきている時代だ。

当然「大きい耳(たぶ)は尊さの象徴であり権威の象徴」を信じるもの達が、五島に定住した事は間違いない。

「この嶋の白水郎は、容貌隼人に似たり。つねに騎射するを好む。その言語は俗人に異なれり」

独立記念館 騎馬民族

この文章がすべて物語っている。

仏教が日本に伝わったのは、6世紀半ばと教科書には載っているが、それは仏教公伝と言われるもので、それ以前に民間ではすでに信仰の対象となっている。

耳飾をするのは仏教の影響ではなく、自然発生的に起こった美意識である。

しかし、仏教等の信仰により、其処に意味が生じていく。

単なる装飾品が「尊さ」「権威」の象徴になっていったのだ。

この時代に、貧富と呼ばれる格差社会に突入して行ったのだろう。

「ミミ」族とは、大陸の影響を受けた人たちの中の権威者である。

「聡く、耿然(明るく光るさま)しており、人の意見を聞き、聖のごとくあり、時には、耽(物事に深入りする)になり、心に聞いてわが身を恥じる」 すべて耳が入っている漢字である。

耳は「こころ」なのだ。

聖徳太子の時代から、装飾品を付ける風俗はなくなってしまった。

冠位十二階の制定で、装飾品は影を潜め、服装や色が高貴さを示す目安になったためだといわれている。

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文字を持たなかった、倭人と呼ばれた多国籍の人々。

聞くことに優れているものの存在は、リーダーの必須条件だった。

「ミミ」族とはそんな人たちだったのだ。

「ミミ」族は大和に吸収されていき、その考え方のみが伝わっていった。

「福耳」などは現在まで残っている。

最後に小近島の大耳、垂耳を景行天皇が言いがかりをつけたくだりである。

「誅殺さるるとも罪をあがなうに足らず」など、会った事も無い大耳、垂耳を罵倒している。

これは、古事記の国生みに小近島がのっており、純然たる日本の領土なのに、大和人でないものたちが住んでいたのを怒ったのだ。

領土問題は昔から大問題だったのだ。

昔、遣唐使船はここを国内最後の碇泊地としていた五島、福江島の美彌良久(みみらく)、現在の三井楽町といわれている。

五島市 三井楽町

五島市 三井楽町

ミミ族とのかかわりを調べたが、特にその関係を示す文献を探し出せなかったので、推理ができなかった。

ただ、福江島には「鬼宿」という地名があり、「鬼岳」もある。「鬼」という概念は様ざまの解釈があるが、鬼は地獄の住人である。

地獄の住人が住む地から、西へ(西方浄土)大陸行きの船が出る。

その地は、極楽へ通じる港かもしれない。

美彌良久(みみらく)は極楽の入り口なのだ。

極 楽 当麻曼荼羅 1幅 絹本著色

極 楽 当麻曼荼羅 1幅 絹本著色

極楽はサンスクリット語「Sukhavati」の漢訳で、原義は「幸ある所」である。

この語の漢訳には「極楽」のほか、「安楽」「安養」「妙楽」など数種類の訳がある。

ウィキペディア

「妙楽」が「美彌良久」に変化したと思われる。

仏教の概念は、教科書が教える仏教公伝よりも、早く伝わっていた。

約2500年前(紀元前5世紀)にインド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し、発生した。その文化は、自然と古代日本にも伝わっていたのだ。

聡明でリーダーだった「ミミ族」

紀元一世紀ごろ、パキスタンのガンダーラと中部インドに誕生した仏像

http://www.patrulrinpoche.jp/zandok-palri-project/help  

耳飾りは憧れ

耳飾りは耳の大きい聡明な人達の憧れとしてつけられていたといえる。

もちろん装飾という意味合いも大きいと思うが、耳の大きい、聡明な一族に対しての憧れが古代に合ったと思われる。

虎の能力を持ちたい者は、虎の毛皮を着る。素晴らしい能力を得たいと思う気持ちからである。

古代より日本は、よく話せる声の大きい者より、多くのことを聞ける者を、尊い存在と考えていたと思われる。

大和のリーダーの条件

聖徳太子の有名な言葉に「和をもって貴しとする」という言葉がある。

和とはまず相手の言い分を聞くことから始まる。

言い負かしても和は生れない。

聞くことがリーダーの条件として尊ばれたのは当然だったのだ。

その事は現代でも同じであろう。

「沈黙は金であり、雄弁は銀」「巧言令色、少なし仁」

よく聞くことの出来るミミ族に敬意を表し続けてきた日本

その結果、族長達に「みみ」の文字を使ったと思われる。

現代でも「耳」は漢字に取り入れられ、日本人の名前として多く残っている。  

「賢者は長い耳と短い舌を持つ」

正にそのとおりである。

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