ヘトマトの謎-2
「ヘトマト」という重要無形民俗文化財(国指定)の名前の由来を調べるのだが、なかなか手がかりがない。
まずこの祭りの名前が、なぜ「ヘトマト」と呼ばれているのか不明である。
そして祭りの内容が、振り袖女性の羽子板のから始まり、へぐらというススを塗り合い、玉せせりというわらで作ったボールの奪い合い、綱引き、大わらじの行進と、その道中大わらじに未婚の女性を引っ張り上げて、何度かワッショイをするという、わかるようでわからない行事の羅列になっているという事だ。
そして解説は「古来より下崎山町に伝わる奇祭で、起源、語源については全く不明」となっている事である。
なぜ起源、語源について不明なのか
起源がわからないとはどういう事かと考えてみる。
一つは、起源がわからないほど、古い行事だということである。
文字のない時代から、伝承されていれば、たしかにその起源は不明だろう。
五島の歴史は古い。なにせ古事記の国産みにも五島の地名が書かれているからだ。
国産みというのは、イザナミ、イザナギが神様を生んだ後に、国土を作り始めるという話である。
最初に、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の以上の八島が最初に作られる。その後に二神は続けて6島を産む。
その中に五島の知訶島(ちかのしま)と男女群島の両児島(ふたごのしま)が登場するのだ。
古いと言えば、古事記より古い神話はとりあえずないので、最古の記録と言ってもいいだろう。
それ以降にも、福江島には隼人(鹿児島)に似た白水郎(漁師)が居たなどと肥前風土記という本に書かれている。
また、空海、最長などの遣唐使が五島の三井楽から出発しているし、なかなかの歴史なのだ。
なので、「ヘトマト」が古代より受け継がれてきた行事だったので、起源と由来がわからないという説明の理由にはなる。
しかし、ヘトマトで行われている行事を見れば、そんな古さは感じられない。
一番感じるのは、羽子板での羽根突きである。
羽つきは奈良時代の貴族たちがやっていたという記録があるが、庶民が始めたのは江戸時代である。近年では昭和40年位まで正月の遊びとして、近所でもやっていたという記憶がある。
となれば、五島は貴族社会ではないので、どんなに古くても江戸時代だと言える。
なので「ヘトマト」の由来がわからない理由に、時代が古すぎてわからないという可能性はかなり低いと思う。
それ以外の由来がわからないという理由では、ごく一部の地域が始めたお祭りとか、そもそも由来などないお祭りなのかという可能性も出てくる。
うーん。これは頭に入れとかなければならない情報である。
ヘトマトとは日本語なのか
次に考えなければならない事は、ヘトマトという名称の意味である。
まず最初に考えるのは、五島の方言ではないかということだ。
長崎人ならわかると思うが、五島弁は結構きつい。
僕が小さい時、旭町という地域には、五島出身の人が大勢いた。
五島出身のじいちゃん、ばあちゃんたちの言葉は、殆ど分らなかった記憶がある。
驚いた時「あっぱよ」と言っていたのを覚えているだけである。
そこで、ヘトマトが五島の方言の中にあるか調べてみた。
五島弁を分析すると、
九州地方方言全般の特徴としては「子音が強く、母音が弱く発音される」という特徴があり、その中でも五島列島方言は発音の撥音化や促音化が執拗で、極端な簡素化を計る。
とある。
例えば、様子を表す「…のヨウダ」は五島弁では促音化し「…のゴチャッ」になり、更に訛って「…のガチャッ」と変化している。
らしい。
よくわからないが、とりあえずヘトマトに近い言葉を探してみる。
「へっぱっ」が嘘、「べべんこ」が子牛があるくらいである。
無いようである。
しかし、これで簡単に見つかるようなら、地元の人達もある程度の憶測くらい書いているはずだからだ。
地元の人達も見当がつかない「ヘトマト」という名前。
例えば、元が中国語や朝鮮語などだとしても、その地域にはその方言が残っているはずである。
だれも知らないって事が謎なのである。再度考え直した。
「ヘトマト」は祭の名前である。
だから、現在の祭の名前の傾向を知れば、手がかりになるかも知れない。
代表的なのは、お盆の15日の夕暮れにおこなう「チャンココ(オーモンデー)」念仏踊りだ。
チャンココとは小さな太鼓を前にぶら下げ、腰蓑を着けて踊る行事である。
定番の解説は「語源は「チャン」が鉦(かね)の音、「ココ」は太鼓を叩く音であろうといわれています」というものだ。
行われる地域は五島の西側の嵯峨島である。
「ヘトマト」が正月の行事で、「チャンココ」はお盆の行事である。
「チャンココ」は「オーオモーオンデーオニヤミヨーデー」と念仏を唱えながら踊るとある。
島の祭り 念仏踊り~ちゃんここ~
首から下げている太鼓を叩きながら、「オーモンデー」という念仏を唱えます。
「オーモン」…「大物」「デー」…「主神」という意味があるそうです。
起源は不明とされていますが、一説には、寛永11年、宇久島の東光寺が焼失した際、焼死した住職の御霊を鎮めるために踊りが始まったともいわれています。
「チャン」が鉦(かね)の音、「ココ」が太鼓の縁を叩く音と言われていますが、岐宿町に伝わるものは少し違って面白いのでご紹介します。
もともとは、「佐乃神講(ツァヌココ)」と言ったそうです。
「佐」 …「祖霊」 「乃」 …「~の」 「神」 …「神様」
「講」 …「集団の信仰又は祭り」
「コ」という言葉は、米を意味することから、「田の神祭り」として始まったそうです。
ここでも起源は不明とあるが、その風体といいある程度の起源は憶測はされている。
岐宿町に伝わる「佐乃神講(ツァヌココ)」が元のような気がするが、これも又、勘である。
確かに田ノ神を「佐乃神講」と書き表したという記録は残っている。
だが、チャンココまたはオーモンデーという言葉に「ヘトマト」の影はない。
なんの関係もなさそうである。
ただ一つ気になるのは岐宿という名前だが、もとは鬼宿といっていたとある。
この「鬼」は先住民族の意味という。
五島の先住民が「鬼」族というのは気になる。
福江には「鬼岳」がある。「ヘトマト」の下崎山町は鬼岳からそれほど離れていない。
もしかしたら、「ヘトマト」というのは、先住民の言葉かもしれないと想像できる。
鬼岳で有名なのに「バラモン凧」というのがある。
バラモン凧の柄はまさに鬼のようで、武者と鬼とが相対する姿と言う事である。
またバラモンとは「荒くれ者」 「向こう見ず」という方言だという。
鬼宿という町、鬼岳という山、そしてバラモン凧。
五島の先住民たちと後からやって来た武士たちとの戦いが想像できる。
五島で武士と言えば、平家である。
この平家伝説は、上五島にある宇久島という島にある。
平清盛の弟・家盛が源氏から追われて五島の宇久島にたどり着いたという話である。
福江島にも伝説はあり、源氏の追求を恐れて、平知盛を始め平家の落武者等は、逃れて六方(奥浦平蔵町)に上陸したというものである。
もし「ヘトマト」が鬼退治の武士に関係しているとすれば、行事の内容に何らかの痕跡があるはずである。
「ヘトマト」の行事は「宮相撲」「羽根つき」「玉蹴り」「綱引き」「大草履」である。
残念ながらその痕跡はない。
もう少し、五島の事を調べてみる。