五島弁「あっぱよ」は漢字だった

へとまと
先日、「ヘトマト」を取材するために五島に渡った。
祭りの場所がわからなかったので、下崎山地区で、世間話をしているおばあさん二人の世間話に割り込んだ。
「ヘトマトは、どこでやるんですか」
おばあさんは世間話に熱中していたらしく、後ろからの突然の声に驚いたようだった。
「あっぱよ」
驚いた時の五島弁だ。
懐かしいと思った。
私は長崎の出身だが、近所には五島出身の人たちが大勢いた。
子供時代の話なのだが、「へっぱっよ(うそ)」とか「あっぱよ(びっくり)」が飛び交っていた様な気がする。
まあ、港の近くの旭町というところにいたので、船乗りの人が多かったからだと思う。
五島弁は、けっこうきつい。
何を言っているのかよくわからなかった場合が多かった。
まあ、方言というのは、そういうものだと思う。
九州で有名なのが「ばってん」
長崎では「とっとっと」
鹿児島の「ごわす」もよく知られている。
鹿児島弁はかなりわかりにくかったとみえて
第2次世界大戦中、日本は薩隅方言を暗号として使ったという。
五島弁はどうやって生まれたのか
方言からそこに住んでいた人たちを特定するなど、専門家の言語学者でも難しいといわれている。
しかし、出来るだけ調べてみたいと思う。
五島の歴史
五島の歴史を逆から遡ってみる。

水産物の流通
https://www.pref.nagasaki.jp/suisan/sinkou/ryuutuu.html
五島は漁業の島である。
沿岸漁業は昔から行われていたが、以西底曳網漁業の遠洋漁業といわれる、ほとんどが徳島県人によって開発されて長崎で行われた。
大正期に徳島の人たちが五島福江島の玉之浦を母港とした船団が活躍する。
つまり、大正から昭和にかけて、五島や長崎に移り住んだ徳島の言葉が混じったと思われる。
徳島弁
長崎では、驚いても「あっぱよ」とは言わない。
徳島はどうだろうか。
徳島は大阪の影響を強く受けたといわれている。
ウィキペディアでは、「おぶける(驚く)」ある。
五島弁に大阪弁のニュアンスはない。
どうも違うようである。
韓国語
五島だけではないが、長崎には友達を意味する「チング」というのがある。
実は「チング」は韓国語で友達である。韓国人が長崎に多く住んでいた証である。
韓国語が日本の言葉の元になっているという説も多いのだが、歴史的事実を知ればあり得ない話だ。
調べてみると
ノルラッスムミダ・・驚きました。
カンノル・・・びっくりする
とある。
これも違うと思う。
念のため中国語も調べてみた。
びっくりした。ああ驚いた。(シャー ラ ウオ イーティアオ)
これも違うようだ。
それでは江戸時代以降はどうだろう。
文治3年(1187年)、平家盛(平忠盛次男、平清盛の異母弟)が宇久島に上陸し、宇久姓を名乗る。観応2年(1351年)、宇久覚が宇久より福江島岐宿に移り、天正15年(1587年)、宇久純玄(すみはる)が五島姓へと改める。
平家盛は平安時代末期の平家一門の武将である。
となれば、奈良や京都あたりが居住地である。
まあ、武家なので「あっぱよ」とは言わないと思う。
平安時代以降の五島は、間に記録がなくいきなり古代になってしまう。
隼人のような人々がいたとか、土ぐもがいたとかの話になってしまう。
もちろん、その人たちの言葉かもしれないのだが、ここまでくると調べようがない。
アッパの発見
津軽ことばの、もっとも古い代表的なものは父、母を「えで・あっぱ」というとある。
しかし、こいつは意味が違う。
しかしついに見つけた。
茨城弁である。
「ほんとにびっくりした」を「あっぱ・とっぱ」
ほんとにびっくりした・・・茨城弁で「あっぱ・とっぱ」
これかな。
しかし、びっくりしたが「とっぱ」で「あっぱ」は本当にということみたいだ。
うーん。行き詰った。
みじょか
五島弁でもう一つ、覚えている方言がある。
「みじょか」である。
これはかわいいという意味なんだが、言葉からすると漢字だと思う。
「美女か」
今読めばびじょかだが、みじょかとも読める。
そうだ。漢字という手があった。
遣唐使の島
五島の三井楽という地は「遣唐使の道」という観光地がある。
東シナ海に浮かぶ五島は黒潮と季節風に頼って海を渡る民にとっては風待ちの港として知られていました。遣唐使時代には日本最後の寄泊地として立ち寄り、数多くの船がこの島から出港していました。
となれば、万葉の時代から、その当時の文化人の人たちがいたということになる。
平安は平家盛一族である。
方言に漢字が混じっているかもしれないのだ。
現に「みじょか」がある。
「あっぱよ」という言葉を見れば「天晴れ」という漢字が思いつく。
天晴れ
★語源
感動詞「あはれ」が語源。「あはれ」は、感動を表す「あは」に接尾語の「れ」がついたもので、喜びや悲しみに限らずあらゆる感情を表す語として用いられた。次第に、賞賛の意味に用いる場合には特に促音化して「あっぱれ」、「嘆賞」や「悲哀」などの感情を表す言葉が「あはれ」というように使い分けられるようになった。
感動した時にいう「あっぱれ」が、びっくりした時の「あっぱ」に変化した。
どうだろうか。
かわいいが「美女か」。びっくりするが「天晴れよ」→「あっぱよ」
信じるか信じないかは、やはり彼方しだいですよ。
2020年9月15日修正
最近このサイトを発見しました。以来楽しく読ませて頂いています。
私は生まれも育ちも東京ですが(現在は信州に移住し、自称信州人)、両親は薩摩人です。
その両親が「かわいい」の意味で使っていたのが「もじょか」「もじょい」。
五島の「みじょか」は初めて聞きましたが、関連性を感じます。
関連があるとすれば、はたして「みじょか」が「もじょか」に伝わったのか、その逆なのか。逆だとすれば、おっしゃる「美女か」説以外にも、大陸や南西諸島の言語由来など、いろいろ楽しい想像もふくらんできそうですね。
コメントありがとうございます。
関連が十分にありそうですね。おっしゃるとおり薩摩から伝わってきたのかもしれません。五島と鹿児島、車だとかなり距離がありますが、海の道を通ればとっても近いのかもしれません。
最近の流行語の「神ってる」の様に、さまざまな形態の言葉が地域の言葉として定着しているのが面白くて調べています。
「もじょか」も参考にさせていただきます。情報ありがとうございます。
沖縄弁
ビックリしたー
あっふぁー
平安時代
あっふぁー が 存在した可能性が
なぜなら
あふぁれ は 書き言葉
あはれ あっぱれ も 書き言葉
コメントありがとうございます。沖縄の方言は知りませんでした。端ほど原形が残っているんでしょうね。
子供の頃婆ちゃんが言ってた言葉の『あっぱよ~』を検索してて、このサイトを偶然発見しました。
挨拶が遅れました…。 小生、来月で63歳になる長崎市生まれの長崎育ちで、31歳以降に仕事の都合で名古屋に住んでる者です。
小生の両親共に、五島の福江港から渡海船で約1時間程の距離にある「赤島」と言う島の出身です。
両親はそれぞれ9名と10名の兄弟姉妹で、小生が小さい頃から祖父母や母親や叔母達が五島弁を使って話してたのを聞きながら育ちました。『あっぱよ』や『みじょか』は勿論、他にも色々な五島弁がありました。
ところで、『そぼっさっ』と言う言葉は知りませんか? そばにある物を取ってくれと頼まれた時や、自分の物を欲しがってる相手に無造作に渡す時などに『そぼっさっ!!』と言いながら投げ渡すような時に冗談混じりな感じで使ってるのを聞いたり言われたりしました。
ちなみに、小生の父親や両親の兄弟は全員底引き網漁の船乗りだったので、旭町の港には良く行ってましたし、幼稚園児の頃までは旭町に住んでいました。
その後、稲佐町と言う所に引っ越して町名変更で曙町に変わりましたが、名古屋に移るまでそこに住んでました。
今では両親も亡くなり、叔父叔母も残り少くなりましたが、帰省したには時々五島弁を聞く事もあります。
なんだか、このサイトを見て懐かしくなり書き込んでしまいました。
以上です。
コメントありがとうございます。私の友人に五島の「赤島」出身が一人います。世間は意外と狭いのかもしれませんね。『そぼっさっ』は知りませんでした。今度調べてみます。
五島の市内中心部でもあっぱよを使う人は少ないらしいですね。野々切では使う人が多いとテレビ番組で言ってました。あとその番組では語源が韓国語の痛いという意味のアッパから来てるのではないかと説明されていました。
コメントありがとうございます。父もアッパ a-ppa 痛いもアッパ(アポ)a-paと言うみたいです。また日本語が元で韓国語になった言葉も多く、「空色」と「紺色」が「ソラセ」「コンセ」になったり、汽車はキチャ、万年筆はマーンニョンピルと言った風に日本語起源の韓国語も言葉も多くありますね。もっと調べてみたいと思います。
今年の1月6日に書き込んだカズユキです。
あらためてサイトの内容を読み返して思い出した事があります。
可愛いを意味する「みじょか」という言葉ですが、逆の意味でいわゆるブサイクを
意味する「びっつんなし(びっつんなか)」という言葉を昔よく聞いていました。
例えば、現在よく耳にする不細工で可愛いを意味する『ブサカワ』って言葉と
同じように、昔は親戚の叔母さん達が「びっつんみじょか」とか言ってたのを
覚えています。
コメントありがとうございます。五島弁はなかなか手ごわいですね。地域によっても方言が違うようで、解明するには五島の歴史から掘り起こさなくてはと思います。
今回は漢字にこだわっていますので、漢字で考えれば、びっつんなか=ぶさいくですよね。
平安時代の漢字を探すと別嬪(べっぴん)という言葉があります。
「別嬪(べっぴん)じゃない」から「びっつんなか」かなと・・? うーん、難しいですね。
私は五島出身です。親戚に博士が多く、あまり言いたくないのですが、いとこにフェローも居ます。母方の旧姓は、赤が付きます。そして一度母親が霊力のある人に見てもらったら鎧を付け赤旗を持つ武将が見えたと言われたそうです。壇之浦の平家の目印も赤旗。やはり平家の落人でしょうか。
韓国語から来てるって説はなんだか怪しい…
そもそもハングル文字そのものが対馬の阿比留文字が由来という説がある。
そして廃れかけたハングル文字を再び着目して広めたのが日本統治時代の日本人である。
何でも「韓国が起源」という韓国人にとっては背けたい事実だろうが…
コメントありがとうございます。韓国語説は確かにあるのですが、私もきっぱり否定しました。そして本文を訂正しました。
はじめまして。ゴールデンウィークで上五島に旅行していた際、お世話になった地元の方が「あっぱよ〜」をよく使っていたので、調べていたらここに辿り着き、興味深く拝読しました。
韓国語説を否定されていますが、アッパは韓国語でお父さんと言う意味だと思います。
また、聖書で使われているヘブライ語でも、アッパ(アッバ)と言う言葉がよく出てきますが、これもお父さんという意味で、神様に親しみを持って呼びかける言葉です。
五島の方の嬉しい時も、驚いた時も、悲しい時も「あっぱよ〜」と言うのが、ちょうど英語の “Oh my God!” に似ていると感じ、この「アッパ」はヘブライ語(聖書)で神様を指す「天のお父さん」= 神様 と言う聞こえ方がしました。
初めまして、五島住人ですが、韓国語の講習を何気に見ていたら、痛いをアッパと言うそうですね、急に何かが頭に落ちてきてイタタタタと頭を抱えた時に、アッパヨ〜なんていいますが、まぁ、関連はわかりませんが、あと、五島では寝る事を、ヌーと言います、もうヌーで(もう寝ようよ)とか言いますが、平安時代に、ぬればや(寝ればや)とかの言い回しがあるそうで、高校の古典の先生が平安時代の言葉が残ってるのではと言ってました。
コメント有難うございます。沖縄の「めんそーれ」の語源は、武士の「参り候へ(まいりそうらえ)」からと言われています。五島も遣唐使関係の都の人々が結構出入りしていたと想像しています。
はじめまして。祖父母が五島の人間で、私も幼少から小学校時代を五島で過ごしました。五島弁、とっても懐かしく、大変興味深く読ませていただきました。最近、天草にいる友達と「みじょか」の話になり、天草では「みぞか」というと教えられました。私もそれまで「みじょ」の「じょ」は「女」と思っていましたが、「ぞ」からは「女」はなかなか連想しにくいですね。調べていると、熊本や佐賀の方でも「みじょーか」「むじょか」のバリエーションがみられるようです。「みじょか」は動詞形にすると「みじょがる」で、それぞれ「みぞか」は「みぞがる」、「むぞか」は「むぞがる」に派生します。そうすると「美女がる」という解釈は、難しくなるのではないかなぁと思うのですが、いかがでしょうか。
コメントありがとうございます。方言に関しては難題が続出しますね。今回の話は、かなりざっくりと捉えてみました。学問の世界でも難問のようで・・。ただ法則性が見えてくると、その土地の人と文化の過去が見えてくるような気がします。今回の件も、その土地の文化と人の流れ、周りの土地との付き合い方の状況が分かれば、解決の糸口が見えてくるのではと思います。言葉の変化は土地によっても変わりますが、世代間でもすごいスピードで変化しています。なぜ言葉は変化するのか、そっちの方にも興味が湧いています。