鳥居に関しての覚書ノート(3) 三本柱鳥居とパンドラについて
各地の鳥居に関して一番悩ましいのは三本柱鳥居についてである。
とりあえず対馬の和多都美神社と京都の太秦木嶋坐天照御魂神社に行ってみた。
対馬の和多都美神社には三本柱鳥居は2つあり、その作りはとても質素だった。
木製なので、時折作り直されたと思う。
木嶋坐天照御魂神社の鳥居は石製でしっかりとした鳥居だ。
目の前で見るとますます不思議さが漂う。
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三柱鳥居の謎
そして悩ましいのは、この鳥居が存在する神社が、かなり由緒ある神社だということだ。
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)は、創建は不詳だが推定すると大宝元年(701年)以前ともいわれている。
この神社のある嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で、木嶋社もまた秦氏ゆかりの神社といわれる。
秦氏
秦氏は『日本書紀』において、応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。(別名は融通王)を祖とする。
さらに秦氏はお稲荷さんを全国にはやらせた元祖である。
これ以外にも多くの謎に包まれている氏だ。
対馬の和多都美神社も創建は不詳だ。
この神社は海彦山彦の伝説が残り、竜宮城といわれている神社である。
和多都美神社のわたつみは海を支配する海神の事。
秦氏の秦の字の由来だが、中国の王朝名だとか機織りのハタ等という説明がある。
秦の字にサンヅイをつけると「みなと(港)」と読むので、海という意味だともある。
さらに現代の名字にある和田や波田は、秦の読みの変形とも言われている。
そうなると、わだつみ=ハタとなり、2つの神社は三本柱鳥居以外でも結びついてしまうのだ。
秦氏は渡来人なので当然対馬を経由して九州にやってきたのだろう。
ここにも接点がある。
そんな2つの神社に三柱鳥居が存在しているのだ。
海幸彦、山幸彦
記紀では海幸彦が熊襲の隼人となり、山幸彦が大和族となったと書かれている。
系図では、天孫降臨の邇邇杵尊の子が火折尊(山彦)と火須勢理命(海彦、隼人)となっている。
その次は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)。
そして神武天皇である。
ノートの2では鵜葺草葺不合命が鳥居の元祖かもしれないと書いた。
そして海幸彦、山幸彦の伝説が残る対馬の和多都美神社には三柱鳥居がある。
そうすると奇妙な話の筋が見えてくる。
鳥居の起源は三柱鳥居
その子供の鵜葺草葺不合命は普通の鳥居
その子供は神武天皇(天皇家の始祖)は鳥居の奥にある天孫を祀る側。
つまり普通の鳥居の前身が三柱鳥居というわけである。
さてこれをどう考えればいいのだろうか。
パンドラの箱
閉じていた鳥居が開いたのだ。
これは、ギリシャ神話のパンドラの箱と同じじゃないかと閃いた。
ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。デジタル大辞泉
つまり、三柱鳥居の中にあったのは、あらゆる災いの詰まった壺で、鵜葺草葺不合命がそれを開いてしまった。
そんな話になる。
ギリシャ神話のパンドラは地上最初の女性である。
鵜葺草葺不合命は山幸彦と豊玉姫命(海人の娘、乙姫)の子供である。
その鵜葺草葺不合命のお嫁さんは玉依姫(タマヨリヒメ)という。彼女も又海人の娘である。
つまり姉妹が天孫に嫁いだのである。
これは、ギリシャ神話にある地上最初の女性と行ってもいいのではないだろうか。
玉手箱
そういえば山幸彦の話は浦島太郎の元話とも言われている。
乙姫(豊玉姫命)は帰っていく浦島太郎(山幸彦)に玉手箱を渡す。
そして浦島太郎(山幸彦)は玉手箱を開けて、白髪のおじいさんになるという話。
これも又パンドラの箱と同じとも言える。
なんとなく繋がったようだ。
古事記はギリシャ神話とよくにている。
時間と場所が離れているので、古事記がギリシャ神話を真似したわけではないと思うが、不思議にも共通点が多いのである。
三柱鳥居の話に戻ってみる。
対馬の和多都美神社には2つの三柱鳥居がある。
社殿横にあるのは海神の豊玉彦命の墓を囲んでいる。
もう一つは潮の満ち引きのある潮溜まりに阿曇磯良(あづみのいそら)の岩を囲んでいる。
阿曇磯良(あづみのいそら)は安曇氏(阿曇氏)の祖神で、神功皇后は三韓出兵の際に龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠を借り受けて皇后に献上し、そのおかげで皇后は三韓出兵に成功したのだという伝説がある。ウィキペディア
ギリシャ神話の話をなぞると、阿曇磯良はパンドラの壺の底に残った希望だったとも言えるだろう。
水の中にある鳥居
海の神様なので、潮溜まりに祀っているのは理解できる。
それでは京都太秦にある三柱鳥居はどうかといえば「元糺の池(もとただすのいけ)」の中に立っている。
中央には石を積み上げたものがある。
これも又、水の中にあり、その池の名前が「元糺の池(もとただすのいけ)」なのだ。
開いた鳥居をもとに戻したという意味にも取れる。
空想が次から次へと繋がっていく。
鳥居の元型は、災いを封じ込めた三柱鳥居。
それを人間になった天孫族の子が開いてしまった。
それが現在の鳥居である。
そしてその子供が、神武天皇になり、災い満ちている地から出発し、大和の地で王朝を開いた。
そんなストーリーが出来上がる。
この話だと鳥居は神道に深く繋がってくる。
三柱鳥居は竜宮の乙姫様が持っている玉手箱と同じと解釈すれば、なんとなく辻褄が合う。
だけどこのストーリーでみんなは納得するだろうか。
そして、古事記とギリシャ神話のつながりも気になる。
そういえば、家の中にある鴨居。鳥居と同じような響きだ。
古事記によれば鳥居の鳥は鵜で、家の鴨居は鴨。鳥居という呼び名を真似して鴨居と名付けたのか。
とりとめのない思考が続く。
まだまだ、何故は続いていく。
鳥居に関しての覚書ノート(3) 三本柱鳥居とパンドラについて