謎のミミ族-1
日本の神話に、国生みの話がある。
いざなみ、いざなぎは、大八島と言われる八つの大きな島を作る。
そして続けて六つの島を生む。
吉備児島、小豆島、大島、女島、*知訶島(ちかのしま):五島列島、*両児島(ふたごのしま):男女群島。
神々が作った島に、長崎県の五島列島が二つ入っている。
古事記が書かれた時代に、五島列島が十分認識されていて、それが重要だったという事だ。
長崎県人とすれば、少し誇らしい気がする。
しかし、『肥前国風土記』には、景行天皇が志式島(しきしま。平戸)に行幸した際(伝72年)、海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。
そこで両者を捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある。ウィキペディア
肥前国風土記とは奈良時代初期に編纂された肥前国(現在の佐賀県・長崎県)の風土記の事である。
古事記は、日本最古の歴史書である。712年元明天皇に献上されたものだ。
肥前国風土記を書いた人は、古事記の事を知らなかったのだと思う。
風土記は日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書をさす。ウィキペディア
古事記の事を知らないわけは無いと思うんだが・・・。
まあ、その時代の事だから、あんまり深く考えないほうがいいのかなとも思う。
しかし、何か不自然さが残る。
古事記の場合、国生みの話は、日本の領土の事を明確にしたつもりだったんだろう。
男女群島なんて、小さい島である。
小近島も、たくさん島のある五島の中の一つの島である。
大きさにいたっては、五島列島の福江島の方がはるかに大きい。
やはり何かある。
その「何か」が大耳、垂耳という土蜘蛛の事である。
土蜘蛛の事は大いに興味があるが、「耳」という名前のほうがもっと気になっている。
魏志倭人伝の記述に「南至投馬國、水行二十曰。
官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸」とある。
長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)とある。
また、耳のつく神様はたくさんいるようだ。
「ミ」は神格を表す尊称として「ワタツミ」や「ヤマツミ」等と用いられ、「ミミ」はその「ミ」を重ねたものとされる。
一説にともに原始的カバネの一つで、巫(ミ)すなわち呪術師の名称として使われ、後に地域の宗教的ないしは政治的首長の名称としても使われたとされる。
「トミ(刀美、登美、富、度美)」や「ツミ(津見、豆美、都美、積、祇)」あるいは「ミコ(巫子、御子、皇子、女王)」などは「ミ(巫)」の日常化した名称であるという。
中略
ミミやミは男子にも女子に付けられており、男女の区別無く呪術的カリスマのある人物に付けられた名称である。ウィキペディア
確かに「ひみこ」にも「ミ」がある。
しかし、小近島の大耳、垂耳は明らかに尊敬されていない。
良い意味だけではないらしい。
耳という名前がつくのは、人物だけではない。
蜻蛉日記の作者が、死んだ老母の通夜の席で聞いた話に、亡くなった人が再び現はれる島があるが、近づくと島の姿は消え失せてしまひ、名だけが人に知られて「みみらくの島」といふのだといふ。肥前国松浦県にありともいふ。
五島列島の福江島に三井楽町がある。
この町の岬が「みみらく」と呼ばれていたという。
昔、遣唐使船はここを国内最後の碇泊地としていた。
『万葉集』の美彌良久(みねらく)、『肥前風土記』の美彌良久(みみらく)、『続日本記』の旻楽(みみらく)も同じ地名という。
すべて五島福江島の三井楽の事である。
「ミミ」というのは、死者がよみがえる地であり、カリスマの首領の呼び名でもある。
今回は、五島の「ミミ」族の謎を追ってみたい。
こんにちは。
ミミの検索で読ませて頂きました
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関裕二先生推薦✨です。
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