長崎の原風景(2) 丹治比一族

30代の頃長崎のミニコミ誌に連載していた事がある。今読み返せは、考証も雑で稚拙な文章である。ただ30代前半から、古代史にハマっていたのだ。

http://freephoto.artworks-inter.net/book/nonf/densetu/den3/index.html

異説か真実か! 誰も触れなかった真の長崎の姿を検証する。

NO3 山の民 「ナガ族たちの岬」

丹治(たんじ)一族

その時に調べたのだが、

「長崎氏の前の時代に長崎で繁栄していた丹治(たんじ)一族がいた(引用 (長崎文献社))」・・・らしい。

ziten[1]

丹とは硫黄と水銀との化合したものをいうが、道教で不老不死の薬、長生の薬のことを言う。

丹治氏というのは、書物にも載っていて、宣化天皇の曾孫、多治比彦王の後裔で、河内国丹比郡を本拠とするとある。

さらに武蔵国では丹治比氏の後裔を名乗る武士集団丹党が勢力を持つようになり、武蔵七党の一つとして力を振るった、とある。

長崎の丹治氏と武蔵国の丹治比氏にどれほどの繋がりがあるかわからないが、珍しい名前である。

一族か関係者か家来なのかも知れない。全く無関係かも知れない。

また、丹治氏の丹とは、辰砂(しんしゃ)の事も指し、硫化水銀からなる赤色の鉱物をいう。

別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂、水銀朱などがある。

日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。 丹は薬のイメージである。

丹土とは一般に「赤土」のことで、丹と朱は同義語で、赤色を指す。

神社の朱塗りの柱などに用いられる水銀朱は、硫黄と水銀の化合した赤土(辰砂)で、朱は、この辰砂を粉砕して、水との比重を利用して採集したものである。

赤色には、この他にも赤鉄鉱を粉砕した「ベンガラ」があり、水銀朱はきわめて貴重なものであった為、普通はベンガラが使用された。 丹土 – niftyより引用しました。

homepage2.nifty.com/amanokuni/hani.htm

「丹」という字にはさまざまな意味がある。

仙人になれる霊薬(仙丹)の元になるという事や、神社の朱塗りの柱などに用いられる水銀朱の事から、宗教がらみの集団のような気がする。

いずれにしろ、長崎地方の在地領主で、遅くとも鎌倉初期には長崎浦の開発領主となって同地に住みついたところから、地名によって長崎氏を称したものと考えられる。とはいえ、長崎氏は丹治比氏の一族ともいわれ、永埼とも書かれ、鎌倉・南北朝期以降に長崎に改めたという。

武家家伝_長崎氏 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hiz_naga.html

「長崎氏は丹治比氏の一族」とある。

「江戸時代の諸書は、長崎小太郎なる人物が鎌倉から室町時代にかけてのある時期に他所から長崎に下向、土着した」 と言うのが定説だったが、 「最近発見された「福田文書」で、同人が鎌倉初期の嘉禎三年(1237)ごろの肥前出身の鎌倉御家人と判明。

つまり、これにより長崎氏は長崎が地元の丹治比の一族だったのが判明する。

丹治比氏の名前は平安時代に出てくる。「平家の時代」である。

「丹治比」は「多治比古王」と記述が有り、その子「嶋」は697年(73歳)に臣下最高位の左大臣となるなど大臣職を長く務め、当時政界の「最長老」であった。

つまり、皇族である。

しかし、政権争いで失脚していき、その子孫達は地域に拡散していった。

その一族の末裔が、長崎に住み着いたと言える。

ちなみに「丹治比」という姓は、古代では蝮(まむし)の事を指すとある。

さてこの丹治比一族。

何をして生計を立てていたのであろうか。それも不明である。

長崎の原風景(3)

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