縄文人とナスカの地上絵

ナスカ近くで新たに25超える地上絵、ドローンで全容把握
ロイター トップニュース2018年5月29日
https://jp.reuters.com/article/nazca-idJPKCN1IU057

地上絵

見つかった地上絵にはシャチや踊る女性の姿などが描かれており、大半は2000年前のパラカス文明期に製作されたとみられている。ナスカより数百年前にあたる。ナスカの地上絵の大半が空中からしか見ることができないのに対し、パルパの地上絵は丘の斜面に描かれており、下から見ることができる。

このニュースに、心わき立てられた人も多いだろう。

私もその一人である。

ナスカの地上絵というその存在の謎は、様々な説が湧き出ていて決定打になるものがない。

ナスカの地上絵(ナスカのちじょうえ)は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に「描かれた」幾何学図形、動植物の絵。ウィキペディア

内容は皆さんもよく知っているので省略する。

いつ書かれたかというと、紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたものだとほぼ確定されている。

日本の時代で言えば、弥生時代となる。

そんな昔の時代に、不思議な巨大地上絵が書かれたのは実に不思議にみえる。

しかしよく考えてみれば、南米にはマヤ文明というのが存在していた。紀元前400年以降、都市の大規模化が起こり発達している。その他紀元前2500年頃カラル遺跡が存在しているアンデス文明がある。

それほど豊かな文化土壌があるので、巨大地上絵を描く高い文化があったのは十分理解できるのだ。

この巨大絵を書いた理由として、暦法関連説、社会事業説、雨乞い儀式利用説、成人試験説などが有りそれなりに説得力がある。

今回は、この地上絵の意味については触れない。なぜなら私はカメラマンなので考古学的知識は皆無だからである。

単純に空から見たほうがよく分かるという絵の内容に触れてみたい。

どこかで見たことのある絵

こんな無知な私でも、ナスカの地上絵を見た時とても親近感があった。どこかで見たことのある絵だなと感じ、そしてピンと来た。

ナスカの地上絵

縄文土器のカエル

縄文土器の表現によく似ているのだ。

似ているだけでは説得力も科学的説明も出来ないだろう。しかし状況証拠にはなる。

例えば私と息子は目が似ている。だからイメージは私の若いときの雰囲気を持っている。だけど口元は母親にである。だから全くそっくりではない。しかし息子は私の遺伝子を受け継いでいるのは間違いないのである。

そんなあやふやな根拠で見た目で比べてみたい。

縄アート

まず結論から述べると、縄文土器の装飾とナスカの地上絵は、縄を使った縄アートと同じだということである。

ナスカの地上絵でまず感心するのは、その直線や角の正確さである。

ナスカの地上絵

縄文土器の幾何学模様

フリーハンドで書くという先入観があった私は、フリーハンドでは正確な直線や幾何学模様を書くことは出来ない。だから不思議だという思いが心の底にあった。

しかしよくよく考えてみれば、縄を使えば直線や鋭角は正確に引ける。

描く方法だが、

十分な大きさの原画を描き上げた上で適当な中心点を取り、そこを起点にして放射状に原画の各点を相似拡大する方法、「拡大法」が採られたという説が提唱されている。ウィキペディア

地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見によりかなりの信憑性があると思う。

一筆書き

地上絵で有名な「イヌ」や「サル」「ハチドリ」は一筆書きである。

ナスカの地上絵 犬

なぜ、一筆書きなのかというのが謎になっているが、1本の縄で形を作ったからと考えれば謎が解ける。

ひもでお絵かき!『フィロタブレット』

絵の巧みさは賞賛に値するが、古代だからこそ縄をここまで使いこなすことが出来たという思いである。

これは、縄文土器の幾何学模様にも通じる。

縄文土器の模様は、地上絵よりも複雑で多彩なのだが、基本的には縄アートである。

有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)

この制作様式が、ナスカの地上絵と縄文土器の共通点である。そしてその共通点は、第一印象で「似ている」という感情を抱かせる元なのである。

表現

もう一つ似ている要素がある。

それは表現である。漫画的といってもいいそのデェフォルメの仕方が似ていると感じるのである。

新しく発見された地上絵

縄文 栃木・九石遺跡巨人

これは見れば一目瞭然である。しかしそっくりではないのもわかる。つまり親戚のような似方である。

それでは何故似ているのだろうか。

アメリカ大陸と縄文人

アメリカ大陸には最初人類はいなかったという。

20万から15万年前、アフリカ大陸においてホモ・サピエンスが誕生し、世界中に広まったという。

アジアまでやってきた人類は、1万4000から1万2000年前にベーリング地峡(のちのベーリング海峡)を渡り、アメリカ大陸に入った。

なので、南北アメリカ大陸の人たちは日本人と同じモンゴロイドという人々である。

面白い話に「フロリダのミイラ」の話がある。

1986年、アメリカ・フロリダ州の湿原でミイラ化したヒトの脳組織が発掘された。このミイラは年代測定の結果約7,000年前のものと判明し、従ってこの脳組織はアメリカインディアンの祖先のものとされた。

しかし調査の結果、日本人の中の5人が、ミイラと同じGGACCCという配列であることが明らかとなった。

第1部  最初の日本人の系譜
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_03_1mt_dna.html

モンゴロイドと言ってもかなり幅が広い。

白人のヨーロッパ人と比較した際、モンゴロイドの肌の色により黄色人種という言い方をするが、実際には淡黄白色から褐色までかなりの幅がある。

さらにモンゴロイドでも古モンゴロイドと新モンゴロイドという区分がある。

寒冷適応を経る前の形質を残すモンゴロイドを、形質人類学では古モンゴロイドと区分し、シベリアという極寒な気候・環境に適応した結果として形成された人種を新モンゴロイドという。

つまり寒さに対応していないので、モンゴロイド本来の小柄で鼻も高く立体的な顔立ちなのが古モンゴロイド

寒さで体型や顔つき、身長などが変わったのが新モンゴロイドなのだ。

古モンゴロイド・新モンゴロイド・オーストラロイド・ネグリト

縄文人は古モンゴロイド

日本の場合なのだが、縄文人は古モンゴロイドで弥生人は新モンゴロイド。つまり現在の日本人は新古の混血モンゴロイドと言われている。

新モンゴロイドは、主に現在のシベリア・モンゴル・中国(華北・東北部)・朝鮮半島などである。

なので日本人と中国、朝鮮半島の人たちとは種類が違うのである。

種類が違うと文化が違うのは皆さん周知のとおりである。

さてナスカ文化の話に戻るが、栄えた場所は現在のペルー共和国海岸地帯のナスカ市周辺になる。

一般的にはモンゴロイドであり、インディオと呼ばれている。文化の源流はアンデス文明と言ってもいいだろう。

古代アンデス文明展. 《黄金製の神像》

縄文文化と比べてみるが、似ているかといえばビミョーである。

アンデス文明を凝縮させたのがインカだと言われている。そのインカだが、なんとなく共通点がある。

インカ帝国展

縄文 土偶

一つは文字を持たずキープと呼ばれる結縄を使って記録する。

これは沖縄にも残っていて、文字の代わりに縄を使っていた事と同じである。

結縄(けつじょう)

日本の場合、5世紀くらいに中国から漢字を取り込み文字として活用させた経緯がある。それまではオリジナルの文字か、結縄を使っていたのだろう。

 

文字を持つことをしなかった文化の特徴は、平和だったという事である。

特にインカ帝国の場合、武器さえ持っていなくて少数のスペイン人に滅ぼされてしまったくらいである。

文字のいい点は記録できることである。そしてそれは商売の時に必要な契約書を作れる。

さてこの事が人間にとって本当に大切かといえば疑問である。

つまり言葉は、相手を縛る力がある。

怨憎呪札

例えば、ある善良な人間が間違って罪を犯したとする。文字があればそれは記録され、その人間は永久に悪人になってしまう。

ところが文字がなければ、間違って罪を犯した人間も改心すればいい人になり、その人の罪を記憶している人が死んでしまえば、その罪は消えてしまう。

それ故に日本では言葉を言霊といい、取扱にとても注意している。結婚式の時に忌み言葉を使わない習慣が現在も残っているくらいである。

文字を持たない文化とは、相手を縛らない文化とも言えるのだ。これはとても平和的思考を持つ文化ではないだろうか。

面白い話がある。

日本人 インカ帝国説
インカ帝国初代皇帝・マンコ・カパック夫婦はチチカカ湖に降臨したという。この「チチカカ」が「チチ=父」「カカ=母」の意味だというから驚きである。
インカ帝国と日本人
http://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-d62c.html

この話の信憑性はおいとくが、南米の人たちと日本人が「似ている」ことの証だと思う。

バルディビア文明 エクアドル(ペルーに隣接)

国宝「合掌土偶」

なぜナスカの絵が巨大なのか

最後になぜナスカの絵が巨大なのかという謎が残る。

いろんな説があると思うが、古来より人間は時々巨大なものを作る。

エジプトのピラミッドや前方後円墳。三内丸山遺跡の巨大な6本の柱などがそのいい例である。

仁徳天皇陵

三内丸山遺跡, 六本柱の建造物

誰かに見せたいとか、信じている証を最大限に表明したい時など、作るものが巨大になるのだ。

ナスカの地上絵も、きっと空や空の上に住んでいる誰かのために作ったと思われる。

これは検証しようがないので、これ以上書かない。

 

今回の話は、ナスカは縄文人が作ったなどというセンセーショナルな結論はなかったが、なぜ「似ている」のかを探求したところで終わる事にする。

同じモンゴロイドでも、環境によってその文化は大きく違ってくる。

しかし似ているという事はすごく重要である。

どんなに高度に発達しても「文字」を持たなかった事。

(しかし同じ南米でもマヤ文明は高度に発達したマヤ文字を使っている。それは中国と日本の関係にも似ている)

制作物の表現が似ていること。

たったそれだけでも重要なことだと思う。

縄文の時期、海やベーリング海峡を渡ったり、太平洋を船に乗って南米に渡っていった縄文人がいるという話は信憑性がある。

同じ古モンゴロイドである。

遠い親戚なのだ。だから似ている部分があるのだ。

そしてモンゴロイドの中でも特に環太平洋沿岸の人々とは、これからの将来仲良くなれそうな気がする。

インディオの民族衣装 http://blog.maruyasu-fil.co.jp/archives/22480

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