縄文のビーナスは出産時に握りしめた 生活用品としての土偶たち
土曜ミステリーという番組で縄文のビーナスのレプリカを持つという映像が紹介された。
縄文のビーナス(じょうもんのビーナス)は、縄文時代中期に製作されたと見られる土偶。妊婦を象っており、高さは27cm、重さ2.14kgである。「土偶」の名称で国宝に指定されている。茅野市尖石縄文考古館所蔵。http://www.city.chino.lg.jp/www/togariishi/contents/1450439510769/index.html
この映像を見て、ハッとした。
「縄文のビーナスは手に持って使うものなんだ」と。
縄文の土偶はその芸術性で大人気である。
しかし、その芸術的すぎる外見から、どう理解すればいいか迷うことがある。
通常は、農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。ただし、世界史的には、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例があまりない。ウィキペディア
つまり信仰の対象として作られた人形たちということである。
しかし信仰といっても、狩猟・採集で生きている人達である。何かの偶像を信仰の対象にするという一神教的な信仰は持ち合わせていないはずである。
となれば、いろんな縄文土偶は自然の中にある精霊だとなる。
だが、その精霊信仰も熱狂的で絶対的ではない。
その理由は破壊されたと見られる状態で出土する事が多いからだ。
前述した「縄文のビーナスは手に持って使うものなんだ」という驚きは、土偶の使用目的を考えさせられるきっかけになった。
縄文のビーナス
まず縄文のビーナスから想像したい。
テレビで見る限りそれほど大きくなく、意外とどっしりしているとあった。
姿は明らかに女性である。表情は目が斜めに口は小さい。
ユーモラスだけど楽しい表情ではないと思う。どちらかというと苦しさを我慢している顔に見えなくもない。
そして片手で握りやすい。
そんな外見を見ているうちに連想が進む。
女性、豊満な妊婦のような体形、少しきつそうな顔。
そうだ。これは出産だと。
出産時に女性は絶大なる苦痛を味わいながら力む。(私は男だから想像がつかないが)
その力む時なにかしっかり掴むものを用意している。
それは紐だったり人の手だったりする。
現在でも、出産時妊婦を励ますように、助産婦や旦那さんが手を握ったりする。
そう。この縄文のビーナスは出産時に妊婦に握らせ、りきませる人形なのだ。
その人形は持ちやすくしっかりと握れる頑丈なものでなくてはいけない。
また、無事に出産できるように祈りもこもっている形でなくてはいけないのだ。
縄文の遺跡を見れば、まとまりのある集団である。墓地も共同墓地だったりと助け合って生きている様子がわかる。
なので出産の時も助け合ったのに違いない。
一人の女性が産気づくと、周りの女たちは集まり出産に協力する。あるものはさすったり、元気づけたりしただろう。
そして、無事に出産できる人形を片手に持たせて力ませた。
そう考えれば、縄文のビーナスに手がないことや、苦痛の表情、しっかりとした作り、そして持つ部分がつるつるしている事などすべて理解できる。
この土偶は完全な形で出土している。たぶん複数の女性が使用した大切なものだったからだろう。
教材として使った合掌土偶
縄文人たちが集団で生活をしていることを考えれば、土偶も別の意味を持ってくる。
合掌土偶は出土時に左足が欠けていたが、住居の片隅に置かれた様な状態で出土した。これは非常に珍しいという。
また現代の目線で見ればコミカルな感じだが、女性器も作られているリアルな土偶である。
合掌といわれているが、よく見れば現代の合掌ではなく、手を握りしめてしゃがんでいる。
顔を見れば口が丸く、突き出している。
この口は、息を吐きだしているようにも見える。
これまた連想をする。
女性、しゃがんでいる、手をしっかり握っている、肩が張り力を込めているようだ。
その連想から浮かぶものは、やはり出産である。
そして住居内に置かれていた。
それから導き出せるものは、教室で使う出産の仕方を教える教材人形だ。
上岡遺跡から出土したしゃがむ土偶も出産時の教材土偶と思える。
顔つきや口の尖らせ方。手を組んでいないが腕をガッチリ絡ませて力んでいる感じである。
若い未婚の女性に見せて、「生む時はね。しゃがんで力いっぱいりきむのよ」なんてこの土偶を見せながら教えたに違いない。
何度でもいうが、縄文は共同体として生活していた。
そして狩猟採集で生きている。
狩猟の場合つるんで男たちは出かけていく。つまり集落には男たちがいなくなる。
そんな時、女性たちは団結して生活をするのだ。
わたしは長崎県の漁村の街で生まれた。男たちは遥か東シナ海まで漁に行く。
なので地域の母子たちは自然と団結して生活するようになった。これは漁業で生計を立てている地域では全国的に同じような構図になっていると思う。
となれば、様々な情報交流が女性の中であったと考えたほうが自然である。
まだ若い女性たちがいれば、出産経験者達は出産の方法を教えていたのだろう。
腰掛けたりしゃがんだりして、手をしっかり握りしめ、出産時には、「ヒーヒー、フーフー」と呼吸するなんていうレクチャーはあったはずである。
まあ呼吸方法を教えたかどうかは不明だが、この土偶を見せながら、大切な出産時の注意を教えたのである。
子供のおもちゃ ミミズク土偶
さて育児だが、集合体なら保育園のようなものもあったかもしれない。
デフォルメされた土偶も多いが、ミミズク土偶を筆頭にコミカルなものも多い。
コミカルな土偶は手を広げ立っているものが多い。
これは現代でもそうだが、現代のおもちゃの人形も正面で手を広げて立っている。
縄文の子どもたちも何人か集まって遊んだのだろう。そんな時おもちゃは必需品である。
また、縄文時代に限らず子供は宝である。その親達は子供のために、玩具となる土偶を真剣に作って与えたのではないだろうか。
私の子供も幼稚園ぐらいになるとロボットの人形をねだってきた。そこで、ガンダムのやや精巧なプラモデルを真剣に作って与えたことがある。どうせ壊すと思ったが、そこが親心なのだ。
現代の郷土玩具を見ても、かなり奇抜でコミカルなものも多い。
また土偶はわざと壊されたと思えるような出土の仕方をするし、貝塚などの場所にまとめて捨てられたりしている。
この土偶たちが信仰の対象ならそんな事はしないだろう。
子どもたちのおもちゃなので、それほど大きくもなく作られ、コミカルで奇想天外な形をしているのだ。
そしておもちゃは壊れる。いや子どもたちがおもちゃを壊して遊ぶのは、今も昔も同じはずである。
小さな土偶たち
これもおもちゃかお守りだと思う。
縄文のポシェットやペンダントも使っていた縄文人達である。
身につけるお守りもあったに違いないし、現代のフィギュアのような小さな人形たちもあったと思う。
中空土偶
この土偶は中が空洞に作られている。
いろんなサイズの中空土偶があるのだが、北海道の旧南茅部町(現在の函館市尾札部町)のジャガイモ畑から発見されたのが高さ41.5cmもあり一番大きいとされている。
時代は縄文時代後期であり、遺跡の一帯からヒスイの勾玉や漆片が発見されている。
縄文時代後期という事もあり、農耕的なこともすでに起こっているはずなので、祭祀や呪術的な用途であるという一般的な説はうなずける。
中を空洞にする技術が話題になっているが、どんな目的なのかというのは結論が出ていない。
しかし、中が空洞だということは、叩けば音が出るはずである。
(重要文化財なのでさわれないが、誰か叩いてどんな音がするのか知りたい)
つまり、音の出る土偶であり、叩く場所によっては音が違い楽器だった可能性もある。
現在の木魚のように使うのか、神社の鈴のように使うのかわからないが、結構大きいのでそれなりの音が出るのではないかと思っている。
一般的な説のように、祭祀の際に使ったのかもしれないが、子供のおもちゃとも思える。(子供のおもちゃは、音の出るものが多い)
結論は、中空土偶は音を出すための土偶なのだ。
それ以外の有名な土偶に関しては自説があるのでご覧頂きたい。
縄文の心-2 遮光器土偶はカエルの精霊
https://artworks-inter.net/ebook/?p=1492「縄文の女神」は子供をおんぶして完成する
https://artworks-inter.net/ebook/?p=2939
これらも、ある意味おもちゃだったりしたのだろう。
縄文の土偶がすべておもちゃだったり、教科書だったりと言うつもりはない。
ただすべて宗教関係とかで片付けるのが、とても違和感があるのだ。
もちろん精霊などの信仰の対象になったものもあるだろう。
しかし、縄文を特別と考えずに、私達の祖先と思い、現代人と何かつながっていると思い始めると、こんな発想が湧いてくるのだ。
きっと出産や子どもたちへの接し方などは、現代人と同じような気持ちを持っていたはずなのだ。
なので、様々な土偶達は様々な用途として作られ消費されていったのではないかと思う。
今も昔も、日本列島に住む日本人であることは間違いないからである。