邪馬台国ってどう読むのか
「明石散人」氏の本が好きで読むのだが、その中で 「邪馬台国を(やまたいこく)と何故読んでいるのか」という文があった。
邪馬台国の話しは好きで、私もカナリのファンである。
しかし、邪馬台国が「やまたいこく」と呼ぶ事に何の疑問も抱いていなかった。
なんだか根底から覆された感じがして、ついブログを書いてしまった。
調べてみると、確かに邪馬台国は「やまたいこく」ではなく「ヤマト」と読むという説の方が、説得力があり理解できる。
ここで、何処に邪馬台国があるというのを描くのではなく、邪馬台国を「やまたいこく」と読む事に何の疑問を持たなかった自分の迂闊さを指摘されたようで、「目からうろこ」だったのだ。
『随書倭国伝』では「倭国は邪靡堆に都す、即ち『魏志』のいわゆる邪馬台なる者なり。」という記述がある。『隋書』の「邪靡堆」は『魏志』の「邪馬台」にあたるというのである。
しかも、「邪靡堆」は都 の名である。「邪靡堆」の古代中国語音は邪靡堆[jya-muai-tu?] であり、『魏志倭人伝』の邪馬台[jya-mea-d?]と近い。
文脈のうえからも「倭国はやまとに都す」とすべきであろう。
『随書倭国伝』の「邪靡堆」を「やまと」と読むとすれば、『魏志倭人伝』の「邪馬台」も「やまと」であり、『日本書紀』の「夜摩苔」と同じ「やまと」を指していると考えるのが自然である。
しかし、わが国では伝統的に漢学者は「邪馬台国」を「ヤマタイ」と現代の日本漢字音で読み慣わし、国学者は日本書紀の「夜摩苔」を「やまと」と読み慣わしていて、「やまと」と「ヤマタイ」は別物のごとく 考えられている。 http://www3.ocn.ne.jp/~ocra/012.html
その当時は、日本には文字を持たなかったし、中国の歴史書は漢字だらけである。
どう読むかで、色んな物ががらりと変ってくる。
定説と呼ばれている事に疑問を持つ事がいかに大事かという事を、改めて感じたのだ。
単純な疑問が本質を突いている場合が多い。
その事を忘れないでおこうと、改めて思ったのだ。