カルチャーショックの長崎盆と精霊流し新着!!
【長崎の怪】静寂はどこへ消えた? 爆音と花火に包まれる「長崎のお盆」の真実 日本の夏、お盆といえば何を思い浮かべるだろうか。 しんしんと更ける夜、川面に揺れる幻想的な灯籠の明かり、静かに手を合わせ故人を偲ぶ人々……実に情 […]
まとまらない落語界の「オチ」ない話 IN長崎新着!!
長崎で行われた演芸を見て 2026年7月29日(水)に長崎市民会館文化ホールにて、「NBC長崎寄席 柳家やなぎ真打昇進披露興行」会場: 長崎市民会館 文化ホール(長崎市魚の町)主催: NBC長崎放送柳家やなぎ(主役・新真 […]
対話を捨てた核兵器絶滅論新着!!
世界初の被爆地である広島に投下されたウラン型原爆「リトルボーイ」に比べ、そのわずか三日後に長崎へ投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」のほうが、爆発の威力としては約一・五倍も強大であった。
龍脈と四神相応に護られた街
風水で見る長崎 風水学における「風水地理」や「龍脈思想」の観点から見ると、長崎県長崎市は「四神相応(しじんそうおう)」の地形が奇跡的なバランスで凝縮された、極めて強いエネルギーを秘めた地盤である。 大地の気 […]
長崎市壊滅シュミレーション
長崎市内はどんどん移り変わっていく。70年も住んでいるが、幸い自宅付近の旭町では大きな災害はなかった。 ただ、1982年(昭和57年)の長崎大水害のときは浜町のアーケードにいて、アーケード内を車が流れていった光景が今も目 […]
3.11キヲクのキロク、そしてイマ。長崎市立図書館でパネル展
http://sendai-city.net/omoide/2024/02/05/post-3253/ 「3.11キヲクのキロク、そしてイマ。」2024 ~長崎が、長崎と、長崎でつながる3.11~ 日時/2024年3月6 […]
川棚 魚雷発射試験場跡 写真撮影には最適
長崎県東彼杵郡川棚町三越郷 片島公園内にあり、駐車場も10台分くらいある。 跡の中は屋根がなく、窓ばかりの空間で、大きな立ち木が跡内にいっぱい枝葉を伸ばしていた。 天気が良く、青空と廃墟の窓からの日差しが絵を作っている。 […]
沖縄 那覇への旅(13) 世界遺産の斎場御嶽
観光バスは、ひめゆりの塔を出発、そのあと物産館のようなスーパーに乗客を連れていき、それでおしまいだった。 金額も程々で、ガイドさんの話も聞け、余計な場所もあったが良かったと思う。 その日は歩き疲れで、ホテルの近くの食堂で […]
矢上 普賢山法華院龍神堂 日蓮宗の不思議
矢上普賢神社へ行く道で、山道を石段で登る地点に白龍神という鳥居がある。 看板もあり、普賢山法華院と矢印が書いている。 赤い鳥居が複数あり、稲荷神社のように連なっている。コンクリートで舗装された道を行けば、崖のような場所に […]
飯盛 結の浜マリンパーク 子供たちを連れて行くのにベストの海水浴場
東長崎、矢上、飯盛方面に行くことのない人はあまり知らないらしい。 長崎市内からだと矢上の日見を超え、矢上大橋を渡り、戸石方面へ行くと結(ゆい)の浜マリンパークへ着く。 人工海水浴場だが、施設も新しくオートキャンプ […]
グーグルから褒められる
「多くの人が Google マップであなたの投稿写真を閲覧しています!」というメールが届いた。 1,000,000 こんにちは 倉ニ さん 閲覧回数 1,000,000 回!あなたは Google マップでトップクラスの […]
写真はもっと嘘つきになった
昔から、写真は嘘をつきとおしている。 それは写真を職業にした20代から知っていた事である。 今更こんな事を書くまでもないが、最近のスマホの写真の画像処理機能の蔓延に、つい書いてしまった。 免許更新で写真がいら […]
香焼チューリップまつり
伊王島に行く途中、大量のリューリップ花壇に遭遇する。 安保という地域で、道沿いに複数ののぼりが立っており「香焼チューリップまつり」と書いている。 5万株40種のチューリップは圧巻だ。 チューリップはトルコ […]
梅園天満宮 今梅が満開
2月12日に撮影したものです。 この日は結構暖かく、参拝に来る人や撮影に来る人達で賑わっていました。 歯痛狛犬に飴が突っ込まれてるのに笑っちゃいましたね。 こんなに突っ込まれたら、狛犬はすぐ虫歯になってし […]
長崎人が佐賀を見下している理由
長崎に住み続けていると、時折聞く話で「佐賀の人間が歩いた後は、草木も生えぬ」なんてのがある。 ただの偏見なのは間違いないのだが、この話の大本は江戸時代の財政難で佐賀県一帯が行った政策の事と思われる。 このいわれなき風評に […]
飯盛鬼塚古墳 橘湾の豪族の首長は女性だった
場所は諫早市飯盛町の道の脇にある。 説明書を読むと、戦前に特別攻撃艇格納庫の石材として使用されていたため消失し、石室の下部構造のみが残っているとのこと。 という事は、戦前の人たちはここに石造りの古墳があったのを知っていた […]

















