ひぐちの火事 歴史の中の長崎火災事件
火事は恐ろしい。 写真はブリックホールから撮影したもので、たまたま出会った火事だった。 黒煙が青空に広がり、尋常ではない事態をすぐに感じ取れた。 その後、ニュースやツイッターで現場の写真を見て、「ひぐち」だっ […]
長崎県の市名の由来|長崎・諫早・大村・佐世保など名前の歴史をたどる
若いころは遠い土地の歴史ばかりが面白く、自分が暮らしている町のことは意外と知らないものである。 ところが年齢を重ね、子供や孫の世代に故郷の話をしようとすると、 「長崎という名前は、どうして長崎なのか」 「佐世保とは何を意 […]
長崎開港以前の歴史と長崎の武士団たち
日本の歴史の中で、武士政権の誕生はとても大きい。 もちろん平安時代にも武士はいたのだが、源平の争い以後、鎌倉幕府(1185年~1333年)が誕生する。 この時代には、朝鮮半島経由からの襲撃が相次いでいる。 有 […]
中国と日本 (5) 日本にあこがれた孫文と長崎の梅屋庄吉
ひとくくりに中国というのは、やはり間違いである。 中国4千年というが、その間様々な王朝が興き、そして滅びっていった。 数え方にもよるが最低15以上の王朝が存在していた。 そしてその王朝の主人公は、漢民族だった […]
中国と日本 (4) 悪の根源 西洋の侵略
日本の戦国時代から徳川までの時代は、中国は明(1644年まで)、清(しん)は、1616年から1912年である。 清(しん)は、1616年に満洲において建国され、中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。 満州 […]
中国と日本 (3) 武士軍事力の充実で国難を乗り切る
日本という国が、中国に大きく影響されたことは間違いないが、ひとくくりに中国と書くと、誤った見方をしてしまう。 長崎に貿易で、アジア大陸から来ている人たちは、別に国を代表しているわけでもないし、日本の商人たちも、日本を […]
中国と日本 (2) 朝鮮半島軍とモンゴル軍の襲来
前回は、894年菅原道真が遣唐使を廃止したところで終わった。 中国大陸で興った隋と唐は、大きな国であった。隋は分裂していた中国を300年ぶり統一したが、その命は短く約37年後に滅亡し、唐にとってかわられる。滅亡といっ […]
中国と日本(1) 近くて大きくて怖い国
2020年1月24日(金)からランタンフェスが始まった。2月9日(日)までの2週間だ。 1994年に始まったので、24年目になる。最初の年に見に行ったことを思い出す。湊公園でこじんまりとランタンを展示していただけだっ […]
長崎の岬は墓地だった
長崎港内の岬の話である。 長崎市のパンフレットでは、「長崎は寒村だった」としつこく書いている。 そして、何もない岬に港を作り、長崎港の大本を作ったとある。本当に長崎の岬は寒村だったのだろうか。 港市長崎の成立に関する研究 […]
晩秋の長与、中尾城公園
11月16、17日 長崎の楽器店主催の合同発表会の撮影で、長与の町民文化ホールに行く。 この立派な建物は、中尾城跡に建てられていて、斜面には、整備された公園がある。 特にスパイラルスライダーは、息子に人気で、何度 […]
沿岸を守る中世の武士団 福田氏
長崎市内に、残っている城はないが、その残滓と伝説は残っている。 そして、それらの跡を現在でも見ることが出来る。 今回は福田地区の城の跡を見に行った。 長崎に福田という地名がある。 小さな港町だが、昔ここに福田遊園地という […]
プロカメラマンが思う上野彦馬の写真
上野彦馬といえば、日本のプロカメラマンとなった最初の人物である。 活躍した時代は江戸の終わりから明治37年(1904年)とある。 何事も最初にやった人の偉業は称えるべきで、私も同業として風頭公園にある墓地に参拝したことが […]
心田庵と移民の町長崎
心田庵(しんでんあん)は長崎市内で大人気の建築物である。あまりの人気の高さで紅葉の時期や桜の時期は訪れる人で大混雑するほどだ。 創建 寛文~天和期(1660~80年代) 心田庵は、何兆晋(がちょうしん)が長崎片淵郷(現在 […]
映画『沈黙』のリアル。長崎26聖人が処刑された「本当の理由」
先日、スコセッシ監督の映画「沈黙 -サイレンス-」を鑑賞した。原作は遠藤周作氏の『沈黙』、舞台は長崎。信仰と殉教、そして司祭の棄教という重いテーマを丁寧に描いた、文句なしの秀作である。 ▶あわせて読みたい: […]
三菱と長崎 「国あっての三菱」
台湾事件 1871年(明治4年)10月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難した。 乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。 漂着した乗員66 […]

















