古代長崎の中心 野母崎の観音寺
野母崎の観音寺は和銅3年(709)、「行基七観音」の内の一つ、千手観音を安置したことにはじまるとされる。 観音寺 撮影ARTWORKS この寺が本当に709年に作られたとすると、古代長崎の要の地と言っても問題はないだろう […]
長崎の原風景(5) 古代長崎で繁栄してい野母崎の宮廷文化
日本と中国大陸の関係は密接だった。 その事は歴史的史実である。 現在の日本の地理から見れば、九州、長崎は端っこにある地方だが、アジアという概念から見れば、中心にあたる。 日本と関わりがあるのは中国や朝鮮だけではない。 東 […]
長崎の原風景(4) 航海・漁業の守護神「娘媽(ノーマ)」が野母崎の語源
昔の長崎に人間はどれくらいいたのだろうか。 手がかりは肥前風土記である。8世紀に書かれたらしいと推測されている。土蜘蛛の記述もこの本にある。 長崎、佐賀に関して詳しく載っているわけではないが、それなりの記述 […]
長崎の原風景(3) 野母崎の葛城の神と土蜘蛛
丹治比一族が長崎にいたことは事実である。 彼らは何を生業としていたのだろうか。そもそも、丹治比一族とはどんな集団であろうか。 丹治氏は古くからの名族で元をたどれば皇族にたどり着く。 現在の福島市に沢山ある姓 […]
長崎の原風景(2) 丹治比一族
30代の頃長崎のミニコミ誌に連載していた事がある。今読み返せは、考証も雑で稚拙な文章である。ただ30代前半から、古代史にハマっていたのだ。 http://freephoto.artworks-inter.net/book […]
長崎の原風景(1) 長崎火山
先ずは超古代の話から始める。 長崎火山 およそ百万年前、長崎火山(長崎市街地を囲む山)、行仙火山(長崎市東部から諫早市飯盛地区にかけて)、有喜火山(諫早市南部の橘湾沿岸)があった。 それらが活発な活動をして、現在の長崎地 […]
「長崎」という地名の由来を再び考える。逆ユダ「長崎氏」
私は長崎出身である。故に長崎の名前の起こりは興味深い。 長崎が長い岬だからというのがある。 もう一つは、鎌倉の武士が、長崎に住み着き領主になったという説もある。 ネットではどうかというと、ふたつの説がウィキペディアに掲載 […]
弥生人はいなかった-神と仏の共存
(写真 古代米の稲木干し) 大昔、私たちの祖先は大陸からやって来たと教えられた。 稲作という技術で日本の礎を作っていたという。 考古学という学問で縄文人がいて、その後、弥生人がいたと言う。 本当にそうなのだ […]
精霊流し考 「歓喜して死を迎えよ」
長崎は特別区 墓で食事をする文化 今年もお盆がやってきた。 お盆は、一族が集まってくる。 子供時代のにぎやかなお盆が今でも忘れられない。 お盆の3日間、兄弟や従兄弟達と一緒に、お墓で花火三昧。 家に帰れば、お爺ちゃんから […]
謎のミミ族-3 完結
日本の古代先住民は、耳飾りをしていた。 仏像は耳が垂れている。 聖徳太子は耳は大きく書かれているが、耳飾りはしていない。 耳飾りをしない、大きい耳の人達は特別の存在だったのだろうか。 大耳と垂耳は女性か? 五島にどんな人 […]